180台の特殊ミシン シャオレの1

【特殊刺繍】
手元にある広辞苑第3版によると、刺繍とは

「(『刺』は針で縫うこと、『繍』は衣に紋様を施すこと)布地に色糸で絵画や模様を縫い表すこと。また、そのもの。ぬい。ぬいとり」

とある。
ポロシャツや靴下のワンポイントマーク、スカジャンの背中、花嫁衣装の打掛、それに趣味としての刺繍など、普通イメージする刺繍はこの定義の範囲内にあるものだろう。刺繍職人として初めて現代の名工に選ばれた桐生市の大澤紀代美さんの刺繍絵画はその集大成とも言える。
だが、どうにもこの定義からはみ出してしまう刺繍がある。布に穴を空けて穴の周りをかがり、その穴で模様を描く刺繍。布を縁取りしながら飾る刺繍。スパンコールを縫い付ける刺繍。生地同士を縫い合わせる刺繍では縫い合わされた部分は梯子状の装飾になる。逆に生地を切り離してテープを作る刺繍。テープの両端が縁取りで飾られているのはいうまでもない。こうした「刺繍」の一般的な定義には収まりきれない刺繍を「特殊刺繍」と総称する。
特殊な刺繍には特殊な刺繍ミシンを使う。特殊ミシン1台で出来るのは1種類の刺繍だけ。だから、求められる特殊刺繍の数だけミシンが必要になる。1台、あるいは数台の特殊ミシンを持つ刺繍屋さんは多いが、シャオレは何と180台もの特殊ミシンを持つ。一般的に需要が多い特殊刺繍は50種類前後といわれる。だから、1台、数台のミシンで特殊刺繍をする刺繍屋さんのほとんどがこの50種類に集中するのは当然の流れである。こうした刺繍屋さんを専門店に例えれば、180台のミシンを持つシャオレは、専門店を集め、ほかにはあまりない特殊刺繍も品揃えした総合デパートといえる。

【頼みの綱】
岡山のメーカーから薄手のハンカチの三巻加工の注文が入ったのは2021年9月のことだった。三巻(みつまき)加工はハンカチの縁を思い浮かべていただければ解りやすい。生地の端がほつれないように2回折り、三重になったところを縫う加工をいう。普通は縫製屋さんの仕事だが、単純に縫うだけでなく装飾も加えたいとなると、特殊刺繍の出番となる。

三巻加工をする櫻井さん

依頼されたのは透き通るほど薄い生地で、目も粗い。櫻井省司代表は

「フニャフニャの生地」

と表現した。多分、それなりに価格のはるお洒落なハンカチとして販売されるのだろう。

実は、薄くて目の粗い生地は縫製屋さん、特殊刺繍屋さん泣かせである。ミシンに特殊な部品を付けて自動的に2回折りしながら縫うのだが、目が粗いとなかなか思ったように2回折り出来ない。生地の糸と糸の間が離れているため隣の糸に釣られて同じように折れてくれにくいからだ。三重になった部分が太くなったり細くなったりしては商品にならない。
また薄い生地も問題含みである。下手にミシンで縫うと、生地が縫い目に引きずられて歪んでしまう。

「岡山も繊維製品の産地ですから特殊刺繍をするところはあると思うんだけど、何故かわざわざ輸送費をかけてまでうちに注文が来るんだよね」

櫻井さんは妻の裕見子さんと2人だけの工場で、ひょうひょうとミシンに向かって仕事をこなす。

枠を越える 平賢の3

【鯉昇り】
平賢の創業は昭和33年(1958年)12月。3代目の平田伸市郎さんが経営の舵を取る。小山さんの義父である。

小山さんは望んで平賢に職を求めたのではない。大学を出ると群馬県館林市の蕎麦屋に就職した。この店の蕎麦に惚れ込み、

「蕎麦職人になる!」

と選んだ仕事だ。ところが半年を過ぎた頃、進路に疑問を持ち始め、仕事を辞めた。すでに結婚していた。さて、どうやって2人の暮らしを立てようか。そんな時、新妻のとも恵さんがいった。

「私の実家は染色業なの。しばらく働いてみる?」

そういえば、そんな話を聞いたなあ。でも、興味がなから忘れていたわ。しかし、とりあえず仕事がない。やりたいことが見付かるまでやってみるか。
軽い気持ちで職人の修行を始めた。2007年のことである。

あれは、平賢で働き始めて何ヶ月たった頃だったろう。小山さんの目が工場で先輩職人が染めた鯉昇りに釘付けになった。白地に目玉、うろこ、髭が染め抜いてある。朱、ピンク、黒、グレー、そして金箔が大胆に使われていた。

「何だ、これは! とにかく美しい。こんな物を染めてみたい、って何故か目が吸い付けられまして。人生であんな衝撃を受けたのは初めてでした」

学生時代、何度か美術館に足を運んだことはあるが、美術がそれほど好きなわけではなかった。授業で描かされる絵を除けば、自分で絵筆をとったこともない。あの時、

「天職に巡り会った!」

という確信が生まれたのはいったい何故だったのだろう?
腰掛け気分だった修行が、その日から真剣勝負になった。

素材による染料の選び方、接着剤、水との調合の仕方、色作り、シルクスクリーンに乗せた染料を延ばすへらの選び方、力の入れ方、動かす速度……。学ぶことは山ほどあった。天気、気温、湿度などで染め上がりに差が出ることに気付くと、夜パソコンに向かってデータベースを作り始めた。毎日が楽しくて仕方がなかった。

枠を越える 平賢の2

【ドラえもん】
2020年2月、東京ビッグサイトで第91回東京インターナショナルギフト・ショーが開かれた。それまでこんな展示会に出ることは考えたこともなかった。捺染業が下請けであるかぎり、出る必要はなかった。

だがこの年、小山さんは

「そろそろ出てみようか」

と準備を進めていた。数年前から、オリジナルの手ぬぐいを作り始め、桐生のえびす講や夏祭、桐生市内で春、秋に開かれるイベント「いとや通り いらっしゃいませ」に店を出し、展示会も何度か開いた。1本1000円を超す、決して安いとは言えない値付けをしたオリジナル手ぬぐいに客がつき、何となく手応えを感じ始めていた。だから

「これなら、東京でも行けるかも知れない」

と思い立ったのだ。

デザインもオリジナルの手ぬぐいを数多く展示した。Tシャツを染めてくれ。バッグの生地をやって欲しい。初の出展にもかかわらず、結構商談が進んだ。

「やっぱり出てよかった」

と自信を持ち始めた頃、フラリとブースに入って来た客がいた。

「私、ドラえもんの手ぬぐいをインクジェットでプリントして売っています。結構売れるので、もっとちゃんとした手ぬぐいを作りたくなりました。手ぬぐいといえば捺染。ここの展示品を見て平賢さんにお願いしたくなりました」

ドラえもんといえば子供の人気が衰えない永遠のキャラクターである。それを平賢で染める。願ってもない話だ。

「展示品を見ると、金箔で染めることも出来るんですね。金箔で描かれたドラえもん、作りましょうよ」

これは平賢が変わるチャンスだ。話を聞きながら小山さん頭の中で、カチリと音をたてて歯車が廻ったような気がした。

「ありがたい話です。ただ、お引き受けするについて、2つお願いがあります。聴いていただけますか?」

お願い。
金箔で染めるのは平賢独自の技術である。だから、平賢で染めたことを明示していただきたい。染め上がったドラえもん手ぬぐいを平賢でも販売したい。

枠を越える 平賢の1

【捺染】
布の染色法は「先染め」と「後染め」に大別出来る。先染めは布にする前、つまり原料や糸の段階で染め、機屋さんは色の付いた糸で織ったり編んだりする。後染めは布に仕上げた後で色をつける。
「捺染(なっせん)」は後染めの手法の1つである。「捺」とは、押す、押さえつける、という意味で、染料と糊などの接着剤を混ぜ、布に押しつけて染める。木版や銅版に色を載せて紙や布に写す版画や、活版印刷も「捺染」の仲間といえる。原理が簡単なためか捺染の歴史は古く、紀元前2000年頃にはヨーロッパで使われていたといわれる。
繊維製品の捺染には、凹凸のついたローラー(こちらに染料を乗せる)と圧着用のローラーの間に布を通して染める機械捺染と、すべてを手作業で進める手捺染がある。手捺染はシルクスクリーンを張った型枠の上に置いた染料をへらで伸ばして1枚ずつ染める。シルクスクリーンはメッシュになった織物と紫外線で硬化する感光剤の2層構造で、染める絵柄を何かで覆って紫外線に晒したあと洗うと、紫外線を浴びていない部分の感光剤だけが洗い流され、染料を通すようになる。少し年配の方なら、ガリ版印刷と同じ仕組みといえば頷いていただけるのではないか。
平賢は手捺染専業である。五月の空を泳ぐ鯉昇り、夏を彩る祭半天を染め続けてきたが、少子化や庭のない暮らしが広がって鯉のぼりの需要が減り、経営環境は年々厳しさを増す。愚痴の一つも出て来そうな時代だが、小山哲平専務は「逆境こそチャンス!」といわんばかりに新規分野の開拓に取り組む。「捺染で、もっとできることがあるはずなんです」。2020年、その努力が小さな芽をつけ始めた。

【常識破り】
捺染業というのは、依頼主の注文に従って布を染める仕事である。どれほど技を凝らして染め上げてみても、何処にも染め主の名は現れない。同業者間の競争に晒されて値引きを迫られ、工賃の決定権もない。典型的な下請け仕事である。平賢も例外ではなかった。

だから、その注文が入った時、小山さんは自分の耳を疑った。

「予算が100万円以上あります。この金額で染められる枚数だけ染めて下さい」

2020年秋の中頃である。まず電話で

「ご相談したい」

と接触があり、1週間もたたないうちに来桐した担当者がそう切り出したのだ。予算内で染められる枚数だけ? 極端な話、

「1枚しか出来ません」

ということだって出来る。捺染業界からすれば、常識破りの注文である。

織物で描く「絵画」 アライデザインシステムの3

【本当の職人は】
それなのに、経営を引き継いだ新井伊知郎さんは

「オヤジが職人ねえ、うーん。絵画織が認められて日本伝統工芸士会の副会長にはなりましたけど、あれはオヤジの道楽じゃないかな。本当の職人はオヤジを支えた彼女たちだと思うんだけど」

と言い放った。彼女たち、とは、伊知郎さんの妻・千夏さんと、一緒に働く前田寿美恵さんである。2人は絵画織のもとになる画像データを、織機を制御するコンピューター用のデータに落とし込む。

「私も伝統工芸士ですが、私にしてもオヤジにしても、ここはこうしたい。ここの色はこうだ、というだけ。言われたような織り上がりになるよう、あれこれ工夫しながらプログラミングしてくれるのはこの2人なんですよ。2人がいなかったら、絵画織もあり得ないんです」

コンピューターで作業する千夏さん

そこで、お二人の仕事をつぶさに見せていただいた。

千夏さんの話によると、初期の頃は画像をスキャナで読み取って下絵にしていた。しかし、スキャンした画像は解像度が低く、拡大すると色が変わるところでジャギー(階段状のギザギザ)が生まれ、処理が大変だったという。

だが、いまは元の絵は高解像度のデジタルデータで持ち込まれることが多く、あの頃に比べれば作業の手間はほんの少し減った。

いま2人の仕事は、色の分解から始まる。この絵にはいったいいくつの色が使われているのか。その色を織物でどう出すのか。コンピューターのアプリに任せるという選択もあるが、

「まだ能力が低くて使えません。やってみたことはあるのですが、ここのメンバーの誰ひとりとして、『これでもいい』とは言いませんでした」

だから、手作業である。

どの色を組み合わせるか。打ち合わせをする千夏さん(左)と前田寿美恵さん

織機も進化したとはいえ、いまでも緯糸に使えるのは12色が限界だ。元の画像に使われている数十、時には100を越える色を、たった12色で表現しなければならない。織物の層は4層である。黒と赤を重ねれば茶色になるが、この茶色は黒を何層目に、赤を何層目に入れればいいか。薄い紫を出すのに赤と青の重ね方をどうするか。元の画像に使われている色を見ながら、一つ一つ決めていかねばならない。そもそも、赤、青、黄色といってもそれぞれ沢山の彩度がある。目の前に或る画像に最適な赤、青、黄色を選び出さねばならない。