街の灯 「PLUS+ アンカー」の話  その12 飛躍

被災地との交流が深まる一方で、「PLUS アンカー」が変わり始めた。「カフェ」から「街の灯」への変化である。客から

「こんなことを考えているんですが、使わせてもらえませんか?」

という問い合わせが出てきたのだ。多くは石巻レストランの客になった人たちである。石巻の食材でできた美味しい料理を楽しみ、初めて知る被災地の生々しい現状に涙ぐみながら、「PLUS アンカー」は単なる「カフェ」ではなく、自分の暮らし、桐生の町を表現する舞台に使えると感じ取った人たちだった。
これまで雅子さんが取り仕切ってきた「PLUS アンカー」が、雅子さんの掌を飛び出しかかっていた。町の人たちが、何かをする場所、何かに参加する場所という新しい顔を持ち始めたのである。

雅子さんの記憶では、第1号は桐生市職員の早朝勉強会だった。登庁する前の午前7時に始める勉強会がしたい。市役所という閉じられた世界で仕事をしていると視野が限られてしまう。民間で活躍している人たちの話を若手の職員が聞いて学び、行政に活かしたい。民間の活力と行政を繋ぐ市職員に育ちたい。

役所内の会議室で開く選択肢もあったろう。だが、それでは講師にお願いしたいと思っている民間の人たちを役所に呼びつける形になってしまう。他の場所を使おうにも、そんなに早い時間に開いている貸しホールなどない。困っているとき「PLUS アンカー」を知った。ここなら受け入れてくれるかも知れない。

「分かった。うちでやってよ。そんな朝早くなら朝ご飯を食べる暇もないでしょう。うちで簡単な朝食を用意してあげる」

若手の職員である。「民間の識者」に話してもらうといっても伝手があるわけではない。講師選びから講演の依頼まで、雅子さんと夫の貴志さんが手伝った「「受け身のプランナー」ならではのことである。

「Kiryu Asa Café plus+」はこうして2015年3月11日に始まった。初回の講師は、不動産業、不動産コンサルティングの仕事を通じて桐生のまちおこしに取り組んでいる貴志さんが引き受けた。

街の灯 「PLUS+ アンカー」の話  その11 石巻のおいしいイタリアンの会

雅子さんは自発的プランナーではない。自分で企画を立てて実行することはあまりない。だが、誰かが企画の種を持っていると、それに様々な枝葉をつけ、化粧を施して見栄えのする催しに仕上げるのは得意である。いわば、「受け身のプランナー」といえる。

「こんなことをしたいんですが」

と相談を受けると、やおら様々な知恵が湧く。だったらこうした方がいい、こんなことも加えてみれば、というアイデアが溢れてくる。

被災地から来た2人が

「私たちは多くの人に石巻に来て欲しいと思ってレストランを開きます。いや、可哀想な町としての石巻に来てほしいのではありません。綺麗な海と美味しいものがある町としての石巻に来て欲しいんです。いま開店準備をしながら、それを多くの人に伝えたいと思っています」

と話したとき、「受け身のプランナー」が起動した。突然、アイデアが浮かんだ。

「ね、だったらここでレストランを開いてみたら? 自分たちの店を開くまえにここでレストランをやってみるの。パーティ形式で人を呼んで、あなたたちの作る美味しいものを食べていただく。そうしたら、あなたたちの思いがたくさんの人に伝わるでしょ? やってみましょうよ、手伝うから!」

思ってもみなかった提案に、2人は当初戸惑っているようだった。だが

「店を開く前の練習にもなるでしょ?」

とダメを押されて2人の気持ちは固まった。

「わかりました。やらせてください」

2015年2月の2日間、「石巻のおいしいイタリアンの会」が開かれた。壁には女川出身の写真家が取った被災地の生々しい写真を展示した。これも雅子さんが付け加えた「枝葉」である。少しでも現地の姿を知って欲しかった。そして、食材はすべて石巻から運んだ。

街の灯 「PLUS+ アンカー」の話  その10 何も知らなかった

いま「PLUS アンカー」は賑やかである。当初はまばらだった客足も、開店直後に地元紙が記事にしてくれて急速に増えた。出すのは飲み物とランチだけなのだが、1ヶ月ほどは満員御礼が続いた。

その賑わいぶりに刺激されたのか、家への愛着のためか、家主の角田さんも週に3、4回は客として顔を出し続けている。それだけでなく、庭の手入れは角田さんが自ら引き受ける日課となった。毎朝6時前後に顔を出し、1人で庭木を剪定し、石を整え、いつ客が来てもいいように準備する。

採算もトントンまでこぎ着けた。雅子さんの思い、角田さんの願い、そしてふみえさんの蒔いた種はみごとに花開いた。

だが、である。それだけなら、単なる人情話にすぎない。すてきな独り暮らしのおばあちゃんがいた。心を揺さぶられた人が、そんなお年寄りたちの力になりたいと思った。たまたま、所有主が強い思い入れを持つ古民家がいい場所にあった。みんなの思いが触れあってカフェができた。どこにでもある、とまではいうまい。しかし、探せば似たような話はいくつも見つかるに違いない。いや、人情話ということなら、「PLUS アンカー」を凌ぐ感動実話だって、全国津々浦々に目をやればいくらでも出てくるのではないか。

そうであれば、「きりゅう自慢」に取り上げるほどの話ではない。

だが、開店から間もなく、「PLUS アンカー」は人情話を越え始めたと筆者は考える。それは、東日本大震災の被災地から訪れた2人の青年がきっかけだった。

街の灯 「PLUS+ アンカー」の話  その9 ワークショップ

角田さんの引っ越し先が見つかった2014年夏の初めから改装工事が始まった。

今度は、設計士は入れなかった。角田さんの住み慣れた家が、私のカフェに一番ピッタリするという自分の「感」を頼って、自分でラフなスケッチを描き、知人に図面を起こしてもらった。

玄関を入ってすぐ右の、それまでは台所、ダイニング、書斎に使われていたスペースは、各種の教室に使えるよう1つにまとめた。縁側のある8畳と6畳の応接間は間仕切りを取り、縁側を含めた大きな部屋にした。ここが今のカフェスペースである。寝室だった部屋はそのまま畳敷きとし、和風の教室に使えるようにした。仏間は琴の教室に使おうと思った。

改装工事は、すぐ近くにあった、腕自慢の職人さんを紹介するカフェ「ぷらっと」を通じて、すべて市内の職人さんたちに頼んだ。和の味を活かすために漆喰で壁を塗り、新しくキッチンとトイレを作った。

「壁の塗り方」のワークショップを開いたのは改装中のことである。

「みんなに利用してもらうカフェだから、店の内装段階からみんなに参加してもらおう」

と雅子さんが考えた。

「漆喰壁の塗り方、教えます」

とクチコミで宣伝したら、小学生の子供からお年寄りまで、何と300人もの人が集まった。こんな大人数が一度に作業は出来ない。3つのグループに分け、3日間で壁を塗ってもらった。先生は「ぷらっと」を通じてやって来た専門の塗装屋さんである。

毎回100人が小手を持ち、それぞれ割り当てられた部分に漆喰を塗りつける。電気はまだ通じてい

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ない。トイレも出来ていない。それでもみな嬉嬉として働いた。

「なかなか平らにならないんだけど、先生、どうやったらいいの?」

鼻の頭にまで漆喰を塗ってしまった小学生が「先生」に質問する。

「先生、こんなもんでいいかね?」

右手に小手を持って壁の前に立ちはだかるおばあちゃんは、すっかり職人気取りである。

街の灯 「PLUS+ アンカー」の話  その8 船出

「ホントに、明日にも工事契約をしようというときになって、自宅ビルの1階でカフェを開くことに、突然違和感を感じたんですよ。何となく無理があるような気がしたんです」

設計事務所がまとめてきた設計図ではとてもオシャレなカフェになるはずだった。だが、オシャレになればなるほど、お年寄りがそこで雑談に花を咲かせているイメージが薄らいでいたのだった。オシャレなカフェにお年寄りが集うイメージがどうしても湧いてこないのだ。何かが、違う。

「そんなことを考えていたら、活用策が行き詰まっていた角田さんのお宅が浮かんだんです。あ、私のやりたいカフェにはあの家がピッタリなんじゃないか、って」

まず、夫の貴志さんに相談した。

「それ、いいね。うん、私もいまの場所には何となく違和感を感じていたんだよ。なるほど、角田さんの古民家をカフェにするのは面白い。ママ、それ、いいと思うよ」

計画が最終段階になりながら、2人して、

「このまま計画を進めてもいいのだろうか?」

と感じていたのである。そして、その打開策でも2人の考えが一致したのだ。2人は改めて、それまでとは違った目で角田さんのお宅を見せてもらった。2013年暮れか14年はじめのことだ。
50年以上も前に建てられた古い家である。間取りはいまの住宅のように各部屋の採光を考えたものではない。南側に並ぶ応接間、客間、書斎、玄関には日が差すが、各部屋を繋ぐ廊下、その北側にある部屋には日が届かず、昼間でも薄暗い。
だが、応接間の南側にある縁側が広々としていた。なぜか、それが大変に魅力的だった。