枠を越える 平賢の3

【鯉昇り】
平賢の創業は昭和33年(1958年)12月。3代目の平田伸市郎さんが経営の舵を取る。小山さんの義父である。

小山さんは望んで平賢に職を求めたのではない。大学を出ると群馬県館林市の蕎麦屋に就職した。この店の蕎麦に惚れ込み、

「蕎麦職人になる!」

と選んだ仕事だ。ところが半年を過ぎた頃、進路に疑問を持ち始め、仕事を辞めた。すでに結婚していた。さて、どうやって2人の暮らしを立てようか。そんな時、新妻のとも恵さんがいった。

「私の実家は染色業なの。しばらく働いてみる?」

そういえば、そんな話を聞いたなあ。でも、興味がなから忘れていたわ。しかし、とりあえず仕事がない。やりたいことが見付かるまでやってみるか。
軽い気持ちで職人の修行を始めた。2007年のことである。

あれは、平賢で働き始めて何ヶ月たった頃だったろう。小山さんの目が工場で先輩職人が染めた鯉昇りに釘付けになった。白地に目玉、うろこ、髭が染め抜いてある。朱、ピンク、黒、グレー、そして金箔が大胆に使われていた。

「何だ、これは! とにかく美しい。こんな物を染めてみたい、って何故か目が吸い付けられまして。人生であんな衝撃を受けたのは初めてでした」

学生時代、何度か美術館に足を運んだことはあるが、美術がそれほど好きなわけではなかった。授業で描かされる絵を除けば、自分で絵筆をとったこともない。あの時、

「天職に巡り会った!」

という確信が生まれたのはいったい何故だったのだろう?
腰掛け気分だった修行が、その日から真剣勝負になった。

素材による染料の選び方、接着剤、水との調合の仕方、色作り、シルクスクリーンに乗せた染料を延ばすへらの選び方、力の入れ方、動かす速度……。学ぶことは山ほどあった。天気、気温、湿度などで染め上がりに差が出ることに気付くと、夜パソコンに向かってデータベースを作り始めた。毎日が楽しくて仕方がなかった。

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