その29 あなたの1本

こんな作業を毎日のように繰り返す。クリムトに寄り添い、クリムトから離れ、さらに壊して松井智司の世界を作る。そんな作業だから、一つの色系のマフラーが5、6種類出来る。ちょっと見るだけなら同じに見えるが、もう一度見るとそれぞれが微妙に違っている。黄色が少し薄くなっていたり、色の並びが変わっていたり、縦縞の幅が変えてあったり……。

「これなら市場に出せる」

というデザインが出来るまでのマフラーはすべて、捨てることを前提に作ってみる試作品にすぎない。
おそらく、このデザイン作業の中に智司社長の美意識が埋め込まれているのだ。

母やおばあちゃん、おばさんたちが身につけていた絢爛な色使いの和服、帯。

市川歌右衛門の舞台衣装、舞台の天井から下がっていたあふれるほどの藤の花。

幼い目で見た桐生の芸者さんたちのきらびやかな和服、帯。

親戚の料亭で見た置物、陶器、庭。母が選んで着せてくれた服。

中学の教科書で見たアルタミラの洞窟壁画。

高校生の時に東京で見たゴッホ。

茶の湯にのめり込んで惹きつけられた小堀遠州の「綺麗さび」。

ヨーガン・レールのデザインで見いだした多色使い。

ポンピドゥ・センターで知ったワシリー・カンディンスキーの「色の合唱」。

YEARLINGでの合唱で見いだした「倍音」の美。

イタリアで目を見開いた大胆なオシャレとファッションのコーディネーション。

……。

それらがすべて混じり合い、結び付き合って松井智司社長の美感を形作っているのに違いない。神経を研ぎ澄ませるようにして進むデザイン作業が、あなたの首を飾って気分を浮き立たせる松井ニット技研のマフラーを毎年生み出しているのである。

とはいえ、松井ニット技研のマフラーは商品である。遅くとも7月中にはデザインを仕上げ、8月には生産に入らねばならない。9月になれば

「すぐに送ってくれ」

という注文が押しかけるからだ。

だから、中には

「もう少し何とかならないかなあ……」

と後ろ髪を引かれながら生産に入らざるを得ないものも混じってしまう。もっとも、智司社長の美感に照らせば

「もう少し」

かも知れないが、筆者の目にはどれもこれも逸品に見えるのだが。

——ところで、社長は冬場になると必ずマフラーを巻いていますね。毎回違った色系のマフラーを巻くんですか?

「いや、やっぱり私は男ですし、年齢もあります。自分に合うのは、って選びますね。最近はブラウン系が多いなあ。あ、自分がそうだからといって、他の色系のデザインに手抜きをするわけではありません。念のためですが」

筆者は毎年の松井ニット技研のマフラーで、自分用にはブラック系かブラウン系に目を惹かれることが多い。あなたはどの色がお好みだろうか? 2019—2020シーズンの新しいデザインも使われた色がそれぞれ違った合唱を奏でている。あなたにピッタリの1本、あなたの目に、各色の組み合わせが倍音を見せてくれる1本はありましたか?

この原稿が公開されるころ、智司社長はすでに2020-2021シーズンに向けたデザインを終え、松井ニットの工場では生産がそろそろ始まっている。

写真:原稿の中に埋め込んだ写真を含めて、すべて2019—2020シーズンの新作です。

「私、加工屋のおっちゃんです」 Tex.Boxの3

【独立】
営業は順調だった。東京からデザイナーやそのアシスタントを同行して富士吉田市の工場に通った回数は数え切れない。そして、営業担当だった澤さんも、いつしかニードルロッカーの操作に習熟した。デザイナーと一緒に新しい布地を創る仕事は天職といいたくなるほど楽しかった。

会社に違和感を感じ始めたのは21世紀の声を聞いたころである。会社は1点ものが多いデザイナーとの仕事より、数量が出る汎用品の営業を求めた。もっと大量に売れるものの注文を取ってこい、というのである。
澤さんにも、頭では理解できた。会社は30人ほどの社員の暮らしに責任を負う。利益は多いにこしたことはない。だから大量生産が必要になる。それは分かる。会社は生きて、発展しなければならない。
だが、誰かが自分の中で、

「それじゃあ面白くないんじゃない?」

とささやく。

「創り出す仕事の方が何倍も楽しいよね」

と誘ってくる。

そんな繰り返しの日々に、澤さんは終止符を打った。このままでは会社にも迷惑をかけてしまう。自分は自分の道を進むしかないのではないか? 澤さんは自分の中の声に身を委ねた。

創業は2002年。創業の地は、自分で思い定めた

「東京に近い機場」

の条件にピッタリ当てはまる桐生市だった。大阪出身の澤さんは聞いたことはあったものの、まったく知らない土地である。ここで、自分の足で立つ。
工場を借り、1万本の針が立つボードを上下させてニードルパンチをする最新鋭のニードルロッカーをリースで入れた。多くのデザイナーや生地屋さんがついてきてくれた、
うち1軒は

「独立して金ないやろから、先に金払うとくわ」

と数百万円の注文を出してくれた。京都出身、東京で店をはる生地屋さんである。涙が出るほど嬉しかった。

「おかげで、事業はずっと順調です」

営業時代に培った人脈、そして築き上げた信頼が生きた。

「私、加工屋のおっちゃんです」 Tex.Boxの2

【ニードルパンチで服地を】
澤さんによると、ニードルパンチという加工技術に注目したのは、山梨県織物整理株式会社の渡辺明弘社長だった。英国に出張した際、見慣れないマフラーに出会った。どう見ても織り柄ではなく、ブリンとされた柄でもない。聞くと、とあるテキスタイル作家が、小さなニードルパンチ機で作ったものだという。
渡辺社長は帰国するとすぐに、中古のニードルロッカーを1台購入した。織物のマフラーの起毛処理をしていたので、

「これにニードルパンチで新しい柄を入れれば市場性がある」

と考えてのことだった。

澤さんは当時、この会社の親会社の営業マンで大阪にいた。そのまま山梨県織物整理株式会社が始めるニードルパンチ加工の営業を手伝うことになり、富士吉田市の工場でニードルパンチ加工の説明を受けた。この加工技術を売ってこい、というわけである。
マフラー地に綿のようなスライバーを乗せてニードルロッカーに送り込むと、見たこともない模様がついて吐き出されてきた。澤さんは

「こんなことが出来るのか!」

と目を丸くした。その驚きは、渡辺社長を超えていたかも知れない。

山梨県織物整理株式会社は取引のあった東京の企画会社を富士吉田市に招いた。この技術をマフラーやストールだけに使うのはもったいない。何か、目新しい、可能性が広がる使い道はないか?
何日も議論を繰り返した。新しい加工技術にすっかり魅せられていた澤さんもメンバーの一人で、沢山のアイデアを出したことはいうまでもない。
やがて、議論が収束し始めた。

「新しい服地を作ってみよう。まだ誰も見たことがないファッションが生まれるぞ!」

「私、加工屋のおっちゃんです」 Tex.Boxの1

【ニードルパンチ】
Needle(針)でpunch(パンチ=打つ、穴を空ける)する。重ねた繊維を活け花で使う剣山を巨大化したようなボードを組み込んだ機械(ニードルロッカー)で何度も打ち、上下の繊維を絡ませて一体化する加工技術。一般的には羊毛や化学繊維を打ってフェルトにする生産工程に組み込まれている。
フェルトは自動車の内装材などに使われる。フェルトの歴史は古く、日本に残っている最古のフェルトは正倉院に保管されている毛氈で、奈良時代に朝鮮半島経由で伝わったと言われる。

(上に乗っているのがスライバー)

この加工技術を服飾用に取り入れたのは、山梨県富士吉田市で織物製品の仕上げ加工をしている山梨県織物整理株式会社だった。1990年代の半ばのことである。複数枚の生地を重ねて打って1枚の布にすれば、上下の生地の糸が絡み合って上の生地には下の生地が浮き上がり、下の生地には上の柄が現れて布地が新しい表情を持つ。1枚の生地の上にスライバーと呼ぶ真綿状の物を乗せて打ち、新しい模様を描くこともある。この会社から独立して澤利一さんが起こしたのがTex.Box(テックス・ボックス)である。服飾用にニードルパンチ加工をしているのは、世界中でこの2社しかない。中国に追随する動きがあるが、技術的にはまだ発展途上だと言われる。

【超一流デザイナー御用達】
Tex.Boxは桐生市の中心街から少し外れた地区にある。近くには小学校、いまは廃校になった元中学校がある閑静な一角で、渡良瀬川にも近い。古びた建屋に社名の表示はなく、看板も立っていない。道路に向かってシャッターがあり、一見、どこにでもある単なる倉庫である。
ここが世界の超一流デザイナーの眼を惹きつけてやまないファッションの発進基地だと知る人は、地元にも少ない。

曲げる 松平鉄工所の3

【なぜ抜き型なのか】
お読みいただいたように、手作業が主体の松平さんの工場にも、少しずつだが便利な機械が入り、作業を楽にしてきた。私たちは誰も、作業をより楽に、より効率的に、より正確に進めるために人々が積み重ねてきた知恵と工夫の恩恵に浴している。
日本はその最先端にある、技術革新のかたまりのような国だ。昔ははさみ、ナイフなどの刃物類しか使えなかった形を抜く作業にも、いまではレーザー、ウォータージェットなどの最先端の技術がある。それなのに、なぜいまでも刃物を使う、見方によっては前近代的な抜き型が必要なのか? そして、なぜ手作りの一品ものの抜き型が重宝されるのか?

「型を抜くという作業を考えると、確かにレーザーやウォータージェットの方が便利でしょう。でも極めて便利に見える最先端の技術にも泣き所があるんです」

と松平さんはいう。

コンピューターに制御されたレーザーは、データを入力すれば正確に型を抜くことが出来る。

「でも、生地を2、3枚重ねただけならいいのですが、10枚、20枚重ねて一気に抜こうとすると、レーザーの出力を高めなければなりません。出力を高めると、レーザーは生地を焦がしてしまうのです。周りに焼け焦げの跡があるアップリケなんて商品にならないでしょ?」

ウォータージェット切断もコンピューターで制御できる。紙やゴムシート、プリント基板などの加工に幅広く使われている手法だ。これなら熱を持たないから生地が焼ける心配はないのでは?

「問題は水です。濡れた布地はカビが生える恐れがあります。それに、段ボールは抜くと同時に折れ線も入れなければならない。抜き型じゃないと出来ません。もっとも、これはうちでは作っていませんが」

松平さんは、織都桐生に相応しい布の抜き型を今日も作り続けている。