花を産む さかもと園芸の話 その13 佳子さん

4年間の留学を終えて、佳子さんは2003年に帰国した。チャイさんはアメリカにとどまり、経営学の勉強を始めた。

「ええ、付き合いは続いていましたが、とにかく遠いんですよねえ。究極の遠距離恋愛、って感じで。そこで私が切り出したんですよ。『これからどうする?』って」

佳子さんが切り出すと、チャイさんは

「将来は結婚だよね」

と応じた。
思いを伝え合うと、あとは早かった。

「僕、日本に行っていいよ」

とやって来たチャイさんは、東京・神田に居を構え、日本語学校に通い始めたのである。

しかし、日本語は難しいといわれる。1年たって片言の日本語はできるようになったが、日本で定職に就けるほど流ちょうではない。しかし、結婚するには暮らしていけるだけの収入は必須だ。

「だったら、うちの仕事を手伝わないか」

と言い出したのは、確か正次さんだった。

渡りに船である。チャイさんの心が動いた。しかし、当時のチャイさんに見分けがつく花はバラやチューリップ程度。カーネーションになるとかなり怪しく、かすみ草といわれると想像もできなかった。つまり、花には全く関心がなかった。できるだろうか?

英国での2人

「だから、1、2年やってダメなら他のことをすればいい、思ってたね」

それでも、他に選択肢はなかった。
であれば、園芸の知識がいる。しかし、チャイさんの日本語力では、日本語での習得は難しい。だが、英語なら得意だ。正次さんを交えて話し合い、英国に学びに行くことにした。英語で学んでこようというのだ。

日本とラオスで結婚式を挙げ、2人は英国に旅立った。英国留学は新婚旅行でもあった。2006年があけたばかりだった。

写真:米国留学中の佳子さん(左)

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