花を産む さかもと園芸の話 その14 世代交代

得意な英語で花作りの基礎を学び、さかもと園芸で義父の仕事を手伝う、はずだった。

「でも、英国での勉強、ちっとも役に立たなかったね。英国はガーデニングの国。授業でやったのは花の名前と、あとは庭造りの基本ぐらい。コンピューターで庭のデザインもやらされたよ。どれもさかもと園芸の仕事とはほとんど関係がない勉強ばかりだったね」

1年の留学を終え、黒保根に戻った。正次さんの手伝いをしながら、正次さんから花作りの基礎を学ばねばならない。
さかもと園芸に来ていた日本人の研修生と一緒に、正次さんの「授業」を受け始めた。

花には雄しべと雌しべがあり、光合成で栄養素を創り出す。肥料の管理が大事で、それには……。

「私、日本語あまりできないから、佳子さんに通訳、頼んだよ。でも、佳子さんも花のことは知らない。知らないことは通訳できないだから、私もあまり理解できない」

そもそも花にはあまり興味がないことも理由の1つだったろう。学習は遅々として進まなかった。このままでは、さかもと園芸の足を引っ張ることになりかねない。

考えあぐねたチャイさんは、オランダに研修に行こうと思い立った。園芸大国と呼び習わされるオランダで園芸を基本から学んでみよう。オランダなら、英語が生きるはずだ。

チャイさんは

「1、2年もやってダメなら他のことをすればいいさ」

と考えて園芸の道に入った。一見、軽薄な人生観の表明の表明にも聞こえるが、決してそうではない。
チャイさんによれば、ラオスとアメリカには共通する人生観がある。失敗を恐れないことだ。目の前にある目標に全力で挑む。失敗するリスク? そんなものを考える必要があるか? 挑んで叶わなければ、次の目標を作って再び挑めばいい。それを「チャレンジ・スピリット」という。
チャイさんの「1、2年」とは、失敗を恐れずに挑戦する期間のことなのだ。失敗しても後悔しないためには、全力でぶつかるしかない。

チャイさんは考えた。オランダは花作りの自動化、大量生産技術で一歩先を進んでいる。オランダの最先端の花作り農園で働いてノウハウを蓄積しよう。黒保根に戻ったらビニールハウスをできるだけ自動化し、各種のロボットも取り入れる。そうすれば、花作りも土を相手にした「農業」ではなく、マネジメントの優劣が経営を左右する「事業」になるはずだ。アメリカで最後に学んだのは経営学だった。その知識をさかもと園芸で活かせないか。

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