入居するであろう人々の年代、家族構成、将来の暮らしを考えに入れた「デザイナーズ・マンション」を手がけたのも同じ文脈だった。東京の設計事務所と綿密に打ち合わせ、外観、色、内装にこだわり、1戸1戸の間取りまで変えた25棟のマンションは大変な人気を呼んだ。
「私の思いをお客様が受け入れていただいたことで、企業として脱皮できたと思います」
そんな挑戦を絶賛する同業者も多かった。だが貴志さんは満足できなかった。デザイン賃貸住宅もデザイナーズ・マンションも町の一部でしかない。本当にやりたいのはまち全体をデザインすることである。単なる、成功した不動産業者で終わりたくない。徳川家康に追いつかねばならない。
「私はね、ほかに良い言葉が思いつかないから誤解を恐れず使いますが、どうも殿様気質があるみたいで。いえ、偉そうにふんぞり返って人々を支配したいのではありません。まずまちの基盤を作る。主役、演者はあくまでまちの人たちです。まちの人たちが自由に、豊かで幸せを感じながら満足して暮らしている。それを丘の上から眺めて私も幸せを感じる。そんな自分になりたいという夢を持ち続けているんです」
貴志さんと雅子さんの手で「PLUS+ アンカー」が産声を上げた。そんなまちづくりを目指す貴志さんの目 には、「PLUS+ アンカー」は、雅子さんが目にしたものとは少し違っったものとして映った。
写真:桐生市を水道山から見る