「その1」で書いたが、この連載を始めるとき、筆者は松井ニットデザインの原点にこだわった。美しさを愛でるだけでなく、どこからこんな「美」が生まれてくるのかを解き明かしたいと思った。
「じゃあねえ、これを読んでみてくれますか」
と智司社長が私に渡した本が2冊ある。
1冊は
「カンヂンスキーの芸術論」
とあった。縦25.5㎝、横19.5㎝の大型本で、たいそう古い。古色蒼然とした紙製のケース入りだ。取り出すと表紙は布製で、各ページの上の切り口には金色が施されている。「天金」と呼ばれる仕上げである。
奥付を開いてみた。大正13年(1924年)11月1日の発行で、定価6円とある。発行元はイデア書院(現在の玉川大学出版部)。著者はワシリー・カンディンスキー本人である。
「確かねえ、神田の古本屋街で買った古本です。いつだったかなあ」
と智司社長が付け足した。確かに、裏表紙の裏側に、鉛筆で「350」の書き込みがある。おそらく350円で売られていたのだろう。
すっかり黄ばんでしまったページを繰って本文にたどり着く。
「凡ての藝術品はその時代の子供である、然も亦屢々我々の感情の慈母である」
と始まる難しい本だ。
いま1冊は
「カンディンスキーとわたし」
ワシリーの妻だったニーナ・カンディンスキーが書いた。こちらは1980年8月25日発行である。
「帝政時代のロシアには古いおおみそかのしきたりがあって、婚期を迎えた年頃の娘たちのあいだで大へん人気があった」
と書き出されるこちらの方がずっと読みやすいし、分かりやすい。
ご記憶かも知れないが、カンディンスキーと智司社長については「KNITTING INN その10 ワシリー・カンディンスキー」、「その24 グッケンハイム美術館」で触れた。「Knitting Inn」という新しいブランドを立ち上げようとしていた若手デザイナーが智司社長をパリのポンピドゥ・センターへの旅に誘い、
「松井さんに、是非彼の絵を見ていただきたかった」
といった画家である。その時、30代後半だった智司社長は一目でカンディンスキーが創りだした世界に魅せられた。そのカンディンスキーの著書、彼の2人目の妻が書いた本を読めという。
松井ニット技研のマフラーの色彩は、マスメディアでは印象派の絵画に例えられることが多かった。智司社長、敏夫専務が揃って、印象派の絵画を好んでいるからだろう。
だが、智司社長はふと口にしたことがある。
「印象派の絵画に使われている色でマフラーをデザインすると、全体の印象が何だかぼけてしまうんですよね」
そうなのか。だとすると、智司社長が影響された西洋の美は、実は印象派の絵画ではなかったのではないか? 色使いの魔術師とでも呼びたくなるカンディンスキーの絵画、中でもその色使いが智司社長の原点の一つなのではないか?
そうであれば、どれほど読みにくかろうとこの2冊の本を読まねばならない。
自宅に戻った私はページを繰り始めた。
写真:ワシリー・カンディンスキーの「黄・赤・青」