その11 茶の湯

遊びもまんざら捨てたものではない。いや、遊びを知らない人間にいい仕事はできないといってもよい。

遊びをせんとや生れけむ

平安時代末期に編まれた歌謡集「梁塵秘抄」に見える歌である。遊びは人が持って生まれた本能であり、人は遊びを通して様々なものを身につけていくのだ。

家業が順調なこともあり、智司青年は遊びにも夢中になった。とにかく、遊びに遊んだ。

智司青年が家業を継いだ昭和33年当時、桐生では芸事が盛んだった。松井工場も勢いが良かったが、織都桐生も往時の勢いを取り戻していたのである。

そんな空気の中で智司青年が身を入れたのは茶道だった。会社の業績も順調に右肩上がりだし、さて俺も何か芸事を、と考えていたとき、高校時代からの友人が

「俺、お茶を始めたんだ」

と話したのがきっかけだった。それを聞いて、

「だったら俺もやってみようか」

と思い立ち、早速、自宅のすぐ近くで茶道教室を開いていた先生に入門した。戦争で夫を亡くした女性が開いていた表千家の教室だった。

考えてみれば、智司青年は幼い頃から和の美に囲まれ、知らず知らずのうちに身体いっぱいに吸収してきた。親戚には料亭や旅館もあり、茶室も知らないわけではない。数ある芸事の中から茶道に目をつけたのは自然な選択だったのだろう。

最初に教室に入ったときのことだった。何気なく歩く智司青年を見て先生が問いかけた。

「あなた、子どもの時から何かやっていましたか?」

問われてみれば、小学生のころからから仕舞を習っていた。母に言われて妹と2人で通ったのである。仕舞とは衣装や面をつけずに能の一部を舞うことだ。

ご存じのように、能の動きはすり足が基本である。初めて茶道教室に行った智司青年は、意識もしないまますり足で歩いていた。それを先生が見た。実は、茶道でもすり足は基本である。畳の部屋を歩くとき、足を畳から離して歩いたのでは震動で埃が立つ。茶室には何人かの人が座っている。その人たちに埃を浴びせないようにすり足で動くのだ。

初回から褒められたからでもなかろうが、楽しかった。茶道も楽しかったし、加えて教室の仲間と遊ぶのも楽しかった。皆で春スキーに出かけ、雪の上で茶会を開いた。ござを持っていき、枯れ木を探して雪に突き立てて花に見立てた。湯はコッヘルで沸かす。雪上での野点である。

雪上での野点は、周りには奇異に映ったらしい。

「あなたたち、何か新しい宗教の信者さん?」

と問いかけられて皆で笑い転げた楽しい想い出もある。

それほど楽しかった茶道教室だが、2年ほど通ううちに疑問を感じ始めた。もっと知りたいと茶道の家元が著した本を読んだところ、教室での教えと食い違うことがいくつも目に着いたのだ。俺、ひょっとしたら間違ったことを学んでいるのか? せっかく学ぶのなら本物を学びたい。

写真:野点を楽しむ松井智司さん。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です