その11 挑戦

A美術館での大成功は心地よかった。だが、智司社長はそれで良しとする人ではなかった。

「このままでいいのか?」

という吹っ切れない思いがどうしても抜けなかったのだ。

「A美術館の販売部門で私たちのマフラーがいくら評判がよくても、羽が生えたかのように売れても、色、デザインまで向こうに指定され、A美術館のブランドで売られるのでは、やっぱり下請けメーカー、生産工場のままということですからね。このままでいいのか、ってどうしても考えてしまいまして」

何とか下請けから抜け出したい。OEM (相手先ブランドでの生産)メーカーを卒業したい。そして自分のブランドで勝負するメーカーになりたい。
それは中小零細と呼ばれる企業なら一度は見る夢である。松井ニットの2人も、同じ思いをずっと抱えてきた。だが、願うだけではいつまでも夢のままだ。夢を現実にするには、何よりも力をつけねばならない。実績を築き上げなければならない。そして、チャンスをつかみ、行動に移さなければならない。いまがその時ではないのか?

2001年、2人は一歩を踏み出した。思い切って日本のエージェントを通じ、A美術館に働きかけたのである。

「A美術館で売っていただくマフラーの色、デザインを当社からも提案したいと考えています。できれば力を合わせてさらに素晴らしいマフラーを生み出していきたいのですが、いかがでしょうか?」

A近代美術館の威光は驚くほど大きかった。何しろ、その商品パンフレットに松井ニット技研が作ったのマフラーが載っただけで、松井ニットの名は記されていないにもかかわらず、

「これ、ひょっとして松井さんのところのマフラー?」

と声をかける人が現れた。そして松井ニットを見る目が徐々に変わり始めたのである。
松井ニットがデザインにまで関わることができれば、そのパンフレットを見ながら

「今年のマフラーはずいぶん変わって、松井さんの持ち味が強まったようだけど、デザインまで任されたの?」

と問いかけてくる取引先も出てくるのではないか。A美術館との契約に縛られて答えられない質問だが、黙っていても噂は噂を呼ぶだろう。

それだけではない。A近代美術館が認めるデザインが多くの消費者に喜ばれることは、これまでの実績で明らかだ。だから、松井ニット技研でデザインしたマフラーをA近代美術館が認めて販売してくれるようになれば、自社ブランドを持つのも夢ではなくなる‥‥。

松井ニットの将来を考えれば、挑んでみる価値は充分にある挑戦だと2人は考えたのである。

写真:こんな色見本から使う色を選びます。色は180色。

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