その10 常識破り

一行が引き上げ、間もなく年が明けた。話し合いでまとまった色の選択をもとにした糸を発注した。驚くほどの売れ行きだった前シーズンは「売れすぎ」て、最後は糸が足りるかどうか冷や冷やの連続だった。だからこの年は、糸の発注を大幅に増やしたのはいうまでもない。そして春になると、工場の編み機をフル稼働させて生産に入った。マフラーシーズンに入るまでには、前年に売れた本数の80%ほどのマフラーが仕上がっていた。

その年も、最初の注文は前年と同じ枚数だった。どうやら、同じ枚数で発注するのがA美術館の流儀らしい。違ったのは次の追加注文が来るまでの間隔である。手元にある注文分の発送をやっと済ませて一息つこうとしていると次の注文が届いた。休む間もなく作業を続けて発送し終わると、間髪を入れず次の注文がやって来る。

前年は、追加注文が来てから生産に入った。この年はすでにかなりの量をシーズン前に作って準備は整えている。注文票を手にしてからの作業は発送だけで、前年よりはるかに楽になるはずだったのに、休憩さえろくに取れないほど仕事に追われた。

「最初はその程度でしたが、とうとう、発送の準備をしている間に次の追加注文が来るようになりまして」

と敏夫専務。大量に作っていたはずの在庫が見る見る減ってすぐに底をついた。それでも後から後から注文書が来る。いつもなら暇になる晩秋になっても工場は生産に追われた。生産に継ぐ生産、発送に次ぐ発送。目が回るような忙しさは1年前をはるかに上回った。ついには大量に仕入れていたはずの糸も足りなくなり、あわてて追加注文する羽目に追い込まれた。

ニューヨークからの注文の中継ぎをする日本のエージェントは当初、A美術館からEメールで届く追加注文を注文書に書き写し、Faxで松井ニットに送ってきた。が、頻繁に繰り返される注文にそれでは追いつかなくなったのだろう。ついには書き写す手間を省き、Eメールで注文書を送ってくるようになった。

「あの年は凄かったですね。1回の注文枚数は相変わらず同じ数でしたが、その注文が何回来たのか覚えていません。とにかく、信じられない量になりました」

一つのモデルでつくるのはせいぜい2000本、が松井ニットのそれまでの常識だった。A近代美術館向けのマフラーは、たった一つのモデルで想像を絶する数を送り出した。松井ニット技研の常識が吹っ飛んでしまったのである。

写真:松井邸の庭の松。枝振りがみごとです。

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