デザイナーの作り方 片倉洋一さん 第11回 洗う研究室

片倉さんが同僚の飯野尚子さんを誘って、「洗う研究室」を立ち上げたのは2016年か17年のことだ。

時折、「000」の修理依頼がある。金具が壊れたり、無理に引張って糸が切れたりした「000」が戻って来る。買って頂いた「000」はできるだけ長く楽しんでいただきたい。そう願う「000」チームは、出来るかぎり修理に応じる。飯野さんはその担当である。

「だけど、これ、洗った形跡がないよね」

修理にやって来た「000」を見ていて、片倉さんがふと気が付いた。「000」はすべて糸でできたアクセサリーだ。肌の上に着けるものが多いから、どうしても汗が染み込んで汚れる。だから、「000」の箱には取扱説明書を入れ、汚れが目立つ前に洗って下さいと呼びかけている。
だが、修理依頼品が洗われていないということは、取扱説明書があまり読まれていないということだ。

そうか、説明書を同梱しているのだから、メーカーの責任はそれで終わり。あとはユーザー責任。私たちにそんな思い上がりがあったのではないか?
考えて見れば、「伝えた」だけでは十分ではない。伝えたい内容を相手が理解して初めて「伝わった」ことになる。

ユーザーは何故洗ってくれないのか。
もっと洗ってもらえるようにするにはどうしたらいいのか。
より簡単に洗う方法はないか?
洗剤の選び方も考えなくては。

そんな思いが次々に沸き上がり、飯野さんを半ば強引に誘って「洗う研究室」を作ったのだ。もっとも、会社の正式な組織ではなく、会社内での自主的な「運動」に過ぎなかったが。

洗うのはきわめて日常的な行動である。何かを洗ったことがないという人はまずいないだろう。だが、「000」のメーカーとして「000」を洗うことをユーザーに理解してもらおうと考え始めると、疑問が次々を沸き起こった。そもそも「汚れ」って何なんだ? 汚れは何故洗剤で落ちるのか? その時、何が起きているのか?

「そうなると、社内には専門知識がありません。専門知識をお持ちの方の助力を得なければなりません」

たった2人の「洗う研究室」は、大阪の石けんメーカーと、桐生市にある群馬県繊維工業試験場に相談を持ちかけた。

社内では「000」を洗う実験を始めた。市販の中性洗剤、合成洗剤、漂白剤、石けん、繊維工業試験場が用意してくれた薬剤。どれが汚れを一番落としてくれるか。洗濯が簡単なのはどれか。湯の温度や洗剤に漬けておく時間を様々に設定した。

困ったのは、汚れた「000」がないことである。出荷を待つ新品の「000」は沢山あるが、落とすべき汚れがまだついていない。社内でボランティアを募った。

「毎日『000』を肌身に着けて汚して下さい」

社員が汚してくれた「000」半分に切った。この半分だけを洗って汚れの落ち方を見るのである。
実験の結果分かったのは、汚れがひどくなると、何を使っても汚れがほとんど落ちないことである。日常的な洗濯が「000」には必要なのだ。
そんな結果を受けて、「000」専用の洗剤を開発しようかとも考えた。それが難しいと分かると、

「じゃあ、汚れにくい『000』にしたらいいのではないか」

と考えた。繊維工業試験場と共同開発したのがトリプルプロテクト加工である。汚れにくく、汚れがついても落ちやすい糸を作り出したのである。2021年秋のことだった。

いまの「000」にはこの加工をした糸を使っている。ただ、それでも汚れから解放されるわけではない。繰り返し身につければ少しずつ汚れは着くし、何度か洗っていれば汚れを防いでいた薬剤が落ちてしまう。

「だから、いまはトリプルプロテクト加工の耐久性を上げる研究を続けている段階です」

汚れから完全に解き放たれた糸は、まだ存在しない。いつかはそんな技術が生まれるのかも知れないが、すべて糸で作るから

・軽くて肩が凝らない
・金属アレルギーがあっても楽しめる

のが「000」なのだ。糸の宿命からはなかなか逃れられない。
だからいまも、洗い方を書いたリーフレットを添えている。紹介しているのは手洗いである。

「気軽に洗濯機に放り込んで洗えるよう、専用の洗濯ネットができないか、とも考えています」

片倉さんは、もっと「000」を楽しんでもいたいと願い続け、開発を続けている。

デザイナーの作り方 片倉洋一さん 第10回 13㎜

真珠のネックレスに使われる真珠の大きさは様々だが、一般的には直径6.5㎜から9.5㎜である。「大粒が魅力」とうたう南洋白蝶真珠でも11〜13㎜、10㎜以上がメインというタヒチ黒蝶真珠でも、出回っているのは11〜13㎜が多い。

片倉さんは13㎜に挑戦した。折角なら一番大きな真珠を目指したい。

開発はのっけから苦労の連続だった。思っていた通り、「珠」を大きくすると算盤玉のようなひしゃげぶりが目立つだけではない。糸がバランスを失って「珠」が崩れやすいのである。それに、突き通す距離が伸びるからだろう、針が頻繁に折れる。糸切れにも泣かされた。

「どこがいけないんだ?」

パソコンで「珠」への針の落とし方の画像を拡大して解析した。無理な力がかかっていそうなところは0.1㎜単位で針をずらした。
「珠」を作る糸の重ね方も改良した。
改良に次ぐ改良、といえば前向きに聞こえるが、現実は失敗に次ぐ失敗である。なかなか13㎜の「珠」は姿を現してくれない。

だが、あのトーマス・エジソンは

「私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、上手くいかない方法を見つけただけだ」

という言葉を残している。成功するためには失敗を積み重ねなければならないのである。

片倉さんは諦めなかった。すべての可能性を試してみるまでは、できないと言ってはいけないのだ。
そのころ、自宅を建てた。設計士と話していて、住宅建設の要諦は基礎にあると教えられた。地盤改良、基礎工事の大切さである。

「そうか。ひょっとしたら『珠』も同じなのではないか? 基礎を考え直そう!」

「珠」の中心に小さな空洞をつくってみた。球をつくるのにそんな手法があると、何かで読んだ記憶が蘇ったのだ。
思った通りだった。中心部に小さな空洞を持った「珠」は丸みが増した。安定感も生まれた。もう、13㎜でも算盤玉ではない。

    13㎜の珠を使ったネックレス1
    13㎜の珠を使ったネックレス2

 

「最初に『珠』を創った時に比べれば、あの時の開発努力で土地勘みたいなものが出来上がっていたので、それほど苦労をしたとは思いません」

片倉さんはそういうのだが、再び片倉チームは、「不可能」を「可能」にした。

そして片倉さんはここでもデザイナーとしての欲を出した。シャネルのネックレスに多い何重にも巻くネックレスにしようと思ったのだ。それもシャネルとは違い、1本だけでもアクセサリーになる。だが、2本、3本と増やしてもエレガンスを失わないデザインに挑んだのだ。

   

そして2014年のインテリア・ライフスタイル展。「笠盛」ブースには、直径13㎜の「珠」も入った「スフィア」が並んだ。注目度が一段と高まったのはいうまでもない。

片倉さんは、2013年に出品した「スフィア」を、「スフィア1.0」と呼ぶ。そして、2014年に出したのは「スフィア2.0」だ。直径8㎜だった「玉」が13㎜に成長した。
4年目は「スフィア3.0」ができた。ずっと悩まされていた算盤玉が、やっと出っ張りのない「球」になった。
いまは「スフィア4.0」の時代である。糸の重ね方を改良し、「珠」が崩れにくくなった。

思えば、当初は50%にも達しなかった歩留率が、いまでは90%を超えている。「000」の「スフィア」は成長を続けている。

——どこまで成長するのですか?

と聴いてみた。片倉さんは

「さあ、天井がどこにあるのか、私にも分からないのです」

と答えた。

ついでに、質問を重ねた。

——改良にも苦労されたようですが、そもそも、刺繍の職人さんからも「無理だ、できない」といわれた「珠」をどうしても創り出そうと決意したのは何故なのですか? 「KASAMORI LACE」を手がけてモーダモンまで出かけながら、なかなか実績が上がらなかった。クッションをなくした『000』はアクセサリーが支えなければならない。そんな焦り、切迫感がありませんでしたか?

片倉さんはしばらく考え込んで答えた。

「焦り、はありませんでした。いま考えると、会社の中での自分の振る舞い方というより、クリエーターとして何かを生み出したいという思いが強かったように思います。私が何かを創り出せば、それが会社に貢献することになるのだろう、と考えていたようです」

これまでなかったものをつくりだすクリエーターとは、そのような人らしい。

デザイナーの作り方 片倉洋一さん 第9回 インテリア・ライフスタイル展

2013年のインテリア・ライフスタイルスタイル展には4種類のネックレスを出展した。「スフィア プラス」が3種類、それに「スフィア カラー」(カラーは衿のこと)である。

      スフィア カラー

名前は「スフィア(球)」である。前述したようにそれぞれ6色使ったから、客の目には18種類の「スフィア プラス」が見えたはずだ。

「スフィア カラー」は、左の作品だ。

ほかではあまり見かけない大胆なデザインで、筆者は何となく、クレオパトラのアクセサリーを思い出してしまった。

だが、片倉さんにとっては、どれもまだ完成品ではない。どこまでの評価を得ることが出来るだろうか?そんな思いを抱えての恐々の出品だった。どんな評価を受けるのだろうか?

うれしいことに、反響は予想を遙かに上回った。

「笠盛」のブースが「アトリウム」コーナーに設けられた。主催者が選ぶ一押しのブースを集めたコーナーである。「スフィア」が主催者の大きな評価を受けたためだろう。しかも、そのコーナーのど真ん中が「笠盛ブース」の場所だった。いわば、2013年の目玉ブースに笠盛が陣取ったのである。
この高い評価を、ライフスタイル展の担当者は

   2013年のライフスタイル展、笠盛ブース

「インテリア・ライフスタイル展は、日本の伝統工芸と現代のライフスタイルを結びつけたいと思って開催しています。『スフィア』は刺繍という伝統的な技術をさらに進化させ、現代的なファッションセンスにマッチした、新しい『美』を創り出してくれました」

と説明してくれた。

そして、「笠盛」のブースは、押し寄せるバイヤーで文字通り溢れた。「アトリウム」にブースが設けられた効果もあっただろう。しかし、世界で初めて刺繍で3次元の美を生み出した「スフィア」に、バイヤーたちが強く惹きつけられたことは疑いがない。
次々と商談がまとまった。その勢いはライフスタイル展が終わっても衰えなかった。つられたように、「DNA」も売上が急増した。

作っても作っても間に合わない。相次ぐ注文に追い付こうと刺繍ミシンにつきっきりで生産に追われていた片倉さんは、喜びよりも驚きの目でこの騒ぎを見ていた。どうやら、この熱狂は自分たちが引き起こしたらしい。

「でも、ひょっとしたら夢でも見ているのではないか」

と、頬をつねりたくなったこともある。

熱狂の最中にいながらも、片倉さんの脳裏には、ライフスタイル展で笠盛のブースを訪れたバイヤーの1人が言った言葉がこびりついていた。

「もっと『珠』が大きいのはないのかな?」

珠を小さくしたのは、どうしても算盤玉になってしまう弱みを目立たないようにするためだった。その泣き所をつかれた気がしたからだ。

「よし、期待に応えてやろう。来年までにはもっと大きな『珠』を創ってやろう!」

どうやったらもっと大きな「珠」を作ることができるだろう?
大きな「珠」が出来れば、デザインの幅も広がる。いまの「000」に飽き足らない人にもアピールできるのではないか? そのためにはどんなデザインにしたらいいだろう?

片倉さんは案をこらしながら、「スフィア」を作り続けた。

デザイナーの作り方 片倉洋一さん 第8回 スフィア プラス

「珠」の連なりができた。だが、まだ長さ20㎝ほどのプロトタイプに過ぎない。これをもとに製品に仕上げなければならない。インテリアライフスタイル展は目前なのだ。

突貫作業が始まった。「珠」はできたが、まだよくよく見れば算盤玉みたいである。これをブラッシュアップしなければならない。それに、生産が安定しない。少なめに見積もっても半分は不良品だ。糸が切れて毛羽が立ったり、ひしゃげた「珠」が登場したり。2人は改良作業を急いだ。

「とうとう算盤玉のようになるのは、完全には直せませんでした。でも、直径8㎜程度の小さな『珠』だったので、それほど目立たない。まあこれでも仕方がないかと出展に踏み切りました」

それが「スフィア(球)」である。恐らく世界で初めて、刺繍で、糸だけで「珠」を創り出した誇りを込めて命名した。

さて、刺繍で「珠」をつくる技術に支えられて、デザイナーの片倉さんはどんなアクセサリーを作ったのか。

刺繍で作るアクセサリーには出来て、ほかのアクセサリーでは絶対にまねが出来ないものは何か? と片倉さんは考えた。それは「色」である。真珠には真珠の色しかない。金、銀、宝石も、自分が持つ色からは逃れられない。
しかし「糸」は、自由に染めることが出来る。色を楽しむ。そんなカジュアルな楽しみ方ら出来るのは刺繍で出来たアクセサリーだけだ。

だから、色にこだわった。30色ほどで試作をし、採用したのは6つの色である。ライトブルー、グリーン、パープル。この3つの色では、「珠」と「珠」の繋ぎ部分にシルバーを配した。ピンク、ブラウン、ブラック、この3色の繋ぎ部分はゴールドに彩った。

「うまく行ったら色数を増やそう」

と考えての試行だった。そして色数は翌年9色に増え、いまでは30色が楽しめる。

次は全体の作り方である。同じ大きさの「珠」を並べるやり方もある。だが、片倉さんは「珠」の大きさを変えた。グラデーションのように「珠」が大きなものから徐々に小さくなり、一番小さくなる珠から徐々に大きくなって元の大きさに戻る。グラデーションから離れて、大小の「珠」をリズミカルに並べたものもある。

「色を着替えることができるアクセサリーですから、リズム感、軽快感、ポップさ、カジュアルさ、そんなイメージのネックレスにしたかったのです」

出展したのは「スフィアプラス・シリーズ」3種と、つけ襟タイプの「スフィアカラー」1種だった。
プラスシリーズでは、独特の工夫を加えた。勝手にアレンジできるようにしたのである。普通は端と端を繋いでこのように使う。

しかし、留め具はネックレスのどの部分にも止まるようになっているので、こんな使い方も出来る。

さらに、「スフィア プラス同士をつなぎ合わせれば、こんなネックレスになる。

デザイナーであり、クリエーターであり、プランナーでもある片倉さんは、ネックレスから「長さ」という制約を取り除いたのである。
そのためか、「スフィア プラス」は、いまでも「000」のベストセラーだ。

デザイナーの作り方 片倉洋一さん 第7回 「珠」ができた!

片倉さんと岡田さんは、水溶性不織布の上下面に半球を作ることにした。縫い上がった後で不織布を溶かせば「珠」になるはずだ。
何度も繰り返すうちに、やっと「珠」らしきものが姿を現した。だが、まるで算盤玉のようにひしゃげ、地球でいえば赤道部分がとんがっている。

「これは『珠』とはいえないね」

だが、「珠」の原型らしいものはできた。問題は、この出っ張りをどうなくすか、だ。

まず、糸の結び目のような核を作ってみた。あとはケーキのスポンジ部分に生クリームを塗って仕上げるように、この核の周りに糸を重ねればいいのではないか?
0.1㎜単位で、針を落とす場所を変えた。うまく行きそうなこともあった。逆にさらにひしゃげてしまったこともある。
だが、算盤玉は少しずつ「珠」に近づいていった。

次に直面したのが、糸のずれである。刺繍が終わって不織布を湯で溶かしてしまうと、しばしば糸がずれてバラバラになるのである。まるでドミノ倒しのように、1本の糸がずれると次々にずれてしまう。縫う時に何本かが中心からずれてしまい、糸にかかるテンションが不均等になるのが原因らしい。

「説明は難しいですが、アーチ建設の考え方を取り入れました。アーチの円形になった部分は、まず円形の型(「支保工」といいます)の上にレンガを並べていきます。煉瓦は直方体ですから、隙間ができる。その隙間には濡らした砂などを入れます。レンガを並べ終わったら、支保工を取りはずします。すると煉瓦の自重で煉瓦同士がかたくかみ合って安定します。その考え方を応用しました」

アーチ建設の考え方の応用。そういえば、片倉さんは物理も得意な工学部出身者であった。

それでも、なかなか

「できた!」

とはいかなかった。針の落としどころを少し変えたら、針で何回も刺された糸が切れて毛羽が立った。折角ふっくらと仕上がりつつあった「珠」が、最後の瞬間につぶれたこともある。
糸の回し方を何度も変えた。糸のテンションも様々に試した。試行錯誤を続けた。

2013年のインテリア・ライフスタイル展が1ヶ月先に迫った。そこに、糸で「珠」を作ったアクセサリーを出すのが目標である。だがまだ、

「これでいい」

という「珠」はできていない。

そんなある夜のこと。出来上がったばかりの部分見本をルーペで調べていた片倉さんがボソッといった。

「できちゃったねえ」

できた! ではない。できちゃった、であった。恐らく、自分でも半信半疑だったのではないか。
気を取り直してもう一度調べた。毛羽はない。「珠」に目立った歪みはない。まだ算盤玉に近いが、小さな「珠」ならいびつさもそれほど目立たない。これならインテリア・ライフスタイル展に出せる。
上糸と下糸のたった2本の糸が、「珠」が連なったチェーンになった瞬間だった。

岡田さんがルーペを奪い取り、長さ20㎝ほどの部分見本を自分の目で確かめた。

「ほんと、できちゃった」

すぐに笠原社長に知らせた。社長はもう布団に入っていたのか、パジャマ姿で工場に駆けつけて来た。

「うわー、できてるねえ。よかった。助かった。ありがとう、ありがとう!」

刺繍で作った、「珠」のあるアクセサリーのプロトタイプが出来上がった。

写真:ポートレート