久美子さんには仕事の全体像の知識がなかった。それではと、正次さんと一緒に働いてきた従業員たちに話を聞いてみた。彼らは正次さんの指示通りの作業をこなすのが主な仕事で、それぞれがノウハウと呼べるものを蓄積するまでには達していない。
正次さんはいったい、どんな考えに基づいて、どんな作業をしてきたのか。
分からなければ原点に戻るしかない。かつての正次さんがそうであったように、基礎から学ぶ。
手に入るだけの本を取り寄せた。英語の本は自分で読めたが、日本語の本は翻訳機で英語に直した。意味が通じない翻訳も沢山あったが、
「それでも、何となく分かるね」
インターネットも活用した。これも英語のサイト主にし、日本語のサイトは翻訳ソフトで英語にした。目につく限り読んで頭にたたき込んだ。
「知らなくてはならないことは、ほとんど全部書いてある時代だね」
それでも、活字で身につけた知識だけでは現場感覚が身につかない。チャイさんが頼ったのは、かつて正次さんが研修をした谷澤農園である。
「正次さんが倒れた!」
と知らせを受けた谷澤農園が
「それは大変だ!」
と応援を出してくれたのだ。日光から来てくれた谷澤農園の実務者たちの仕事を見る。分からないところを質問する。今度は面白いほど知識を吸収できた。必死の学習で基礎知識を身につけたのが生きたのだった。
そして、義母の久美子さんや従業員の話を聞き、1年間の仕事を洗い出した。いつ、何をすればいいのか。作業のスケジュールを立てるためだ。
チャイさんは、猛スピードでアジサイ・シクラメン生産農園の経営者への道を歩き始めた。自分と佳子さん、それに間もなく生まれる愛児の暮らしがチャイさんの肩に掛かっているのである。
写真:チャイさんは学んだことをスマホでメモする