小黒金物店 第3回 独立へ

 だが、小黒さんは丸4年でこの鍛冶屋から逃げ出した。

 「殴られるなんてのは何でもなかったんだが、どうして逃げたかねえ。何となくそこにいるのが嫌になったんだな」

 それでも鍛冶の仕事は好きだった。桐生に戻り、隣の大間々町(現みどり市大間々町)の鍛冶屋に入った。大きな鍛冶屋で

 「まあ、今でいえば大手企業に就職したようなもので、働いていれば給料をくれる。あれは気楽だったね」

 「小遣い銭程度」の給料をもらっての、気楽な暮らしが2年続いた。だが、気楽な暮らしは職人としての手応え、生き甲斐がない暮らしでもある。

 「修業先から逃げ出して、サラリーマン暮らし。俺は何をしてるんだんべ?」

 初心が蘇った。2年後、桐生の渡良瀬川のほとりに土地を買い、鍛冶屋として独立する。独立資金程度の貯金は貯まっていた。

 とはいえ、貯めた金は知れたものである。炉は畑の土を掘り起こして作った。炉に風を送る鞴(ふいご)は、のこぎり鍛冶をしていた母の実家からもらった。買い集めた道具は、大小の槌、それに、熱する鉄をつかむ「つかみ」程度だったからだ。

 時に20歳。修業時代は6年で終わった。どこの鍛冶屋にも負けない、とまではいえないが、どこの鍛冶屋とも同じ程度の仕事はできる、と楽観していた。桐生には農家もある。山仕事も多い。すぐに注文は取れるはずだ。

 「ところがね、一人でやってみると『ありゃあ』っていうことの連続さあ。できるはずのことができない。ああ、あれは親方がいたからできていたのかってやっと分かったんだが、もうなんともならないわね」

  いま思い返せば

 「若気の至り」

 の独立だった。だが、賽は振ってしまった。後戻りはできない。小黒さんは一人で修行した。とにかく、鎌を打った。

 「これなら」

 と思える鎌を鍛えることができるまでに何本の、出来損ないの鎌ができてしまったことか。

 「うーん、数までは覚えてないが、ずいぶん捨てたね」

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