小黒金物店 第2回 鍛接

小黒さんは、古来の「鍛接法」で刃物を鍛える。
鍛接法とは、柔らかい地金(ほぼ純粋な鉄)と硬い鋼(はがね=炭素分がわずかに混じっている鉄)を熱し、鉄の粉にホウ酸を混ぜた鍛接剤を間に振りかけて槌で叩いてくっつける製法のことだ。

鋼は焼き入れをすると固くなる。だから切れ味が出るのだが、曲げや衝撃に弱い。折れたり欠けたりする。
地金は鋼に比べればずいぶん柔らかいから、刃をつけてもすぐに切れなくなる。しかし、鉄の針金を思い出していただけばお分かりのように、ぶつけても折れたり欠けたりせず、自在に曲がる。粘りがある。
地金と鋼を併せればこの両方の良さが生きる。切れ味を保ちながら折れにくくなるのだ。これが刃物である。

切れ味とその美しさで知られる日本刀は、地金を鋼で巻いて鍛える。地金を中に入れるのは折れにくくするためだ。
包丁やナイフ、釜などは地金で薄い鋼を挟んだり(両刃の場合)、地金と薄い鋼をくっつけたり(片刃の場合)する。刃の部分は鋼で、ほかは地金でできている。これで切れ味は良く、ねじっても折れにくく、おまけに研ぎやすくなる。
この地金と鋼を、日本では昔から鍛接してきた。鍛接は沸かし付けとも呼ばれた。

ところが、技術革新の波がやってきた。家庭用の包丁などには錆びにくいステンレスやセラミックを使ったものもある。しかし切れ味が長続きせず、研ぐのも難しい。
だからプロは地金と鋼を併せた「打刃物」を使う。高級な刃物の代名詞である。がだが、ここにも技術革新の波は容赦なく押し寄せた。鍛接という技法を使わなくても、地金と鋼が最初から接合されている複合材が現れ、普及が著しい。

小黒金物店 第3回 独立へ

 小黒さんの子どもの頃、桐生には機音が鳴り響いていた。いまはほとんど街から消え去った昔を懐かしみ、

 「ガタン、ガタン、がチャ、ガチャというリズミカルな音でねえ。あれはジャズですよ」

 という人もいる。機音を懐かしむ桐生人は多い。

 だが、小黒さんは違ったものに惹かれた。まだ市内のあちこちににあった鍛冶屋の音である。トンテントンという響きが何よりも心地よかった。下校途中にあった鍛冶屋で道草を食うのはいつものことだった。

 「僕、鍛冶屋になろう」

 思いつきが決心に固まったのが何歳の時だったか、今となっては記憶にない。だが、その思い通り、いまだに槌で鉄を鍛え続けているのだから、よほど強い思いであったろう。

 「仕事を覚えるのなら早いほうがいい。どうだ、うちに来ないか」

 多分、親に鍛冶屋へのあこがれを親に話したのだろう。新潟県燕三条市の近くで鍛冶屋をしていた親戚から話が飛び込んだ。小黒さんはまだ14歳だった。昭和20年(1945年)。戦争はまだ続いていた。小黒さんは桐生を離れ、徒弟としてその鍛冶屋に住み込んだ。

 14歳といえばまだ身体の骨格も定まらない時期だ。農作業用の鎌作りを専業としていた親戚には、仕事が降るようににやってきた。当然、幼い小黒少年も重要な働き手である。親方にいわれるままにコークスを砕き、形が整った鎌を研いで刃を付けた。半年過ぎた頃には、真っ赤を通り越してミカン色になった鉄を槌で叩いて伸ばし、鎌の形に近づけた。

 「そういやあ、鍛接も、78ヶ月の頃からやらされたね」

 刃物をざっと振り返っておこう。

 地金に固い鋼(はがね)を鍛接し、再び800℃ぐらいに熱してやると鉄は赤みを帯びたミカン色になって柔らかくなる。それを叩いて曲げたり伸ばしたりして形を整え、焼きを入れて鋼を固くする。あとは研いで刃を付ければ刃物になる。

 だが、鎌作りはもう一つ作業が必要だ。ご存じの通り、鎌の刃は微妙に曲がっている。あのカーブは機械で打ち抜いて出すのではない。鉄を熱し、柔らかいうちに槌で叩いて出すのだ。事前に用意した型に合わせて曲げていくのだが、これが難しい。まっすぐな包丁やナイフに比べ、高い職人技がいる。

 憧れた仕事である。懸命に取り組んだ。

 「地金と鋼がなかなかくっついてくれなくて。ああ、俺はうまくなんないなあ、って情けない思いをしながら槌を振っていたんだ。いま考えると、当時の鍛接材がの質があんまり良くなかったのかもしれないが」

 それでも4年目に入ると、小黒さんが一人で鍛えた鎌が売れるようになった。

小黒金物店 第4回 増えた小黒ファン

 ぼちぼち注文が入り始めたのは、独立して56年たった頃である。

 作るのは、習い覚えた鎌がほとんどだった。いつしか

 「小黒の鎌は良く切れる」

 という評判が生まれていた。教え込まれた技法に独学の工夫を加えた小黒さんは、鍛冶職人として確実に成長していたのである。

 鎌の評判が広がると、だったら鍬を、と注文する客が来始めた。市内と周辺の農家に、小黒さんの農具の評判が広がった。

 「農具がそんなにいいのなら、山仕事の道具もいいものを打つはずだ」

 やがて山仕事の道具の注文が舞い込んで来た。桐生は山に囲まれ、山林が豊かである。山仕事をする人たちの期待を、小黒さんの刃物は裏切らなかった。評判が評判を呼び、仕事に追われ始めた。

 すぐに、自分が打ったものだけでは、客に応じきれなくなった。独立して7年後、いまの場所に店舗を持ち、

 「これなら普通に使えるだろう」

 という刃物を仕入れて並べた。店の売り上げの8割は仕入れ品だった。小黒さんに刃物を注文しに来て、順番待ちの列が長く伸びていることを聞かされた客が、

 「それじゃあ仕事に間に合わない。小黒さんの店に置いてあるのなら間違いないだろう」

 と買っていってくれたのである。

 もちろん、小黒さんは自分で刃物を鍛える鍛冶屋である。自作品を並べる棚を用意したのはいうまでもない。だが、そこはいつも空っぽだった。作るそばから羽が生えたように売れて行ったからだ。

 中でも、鎌の評判が高かった。切れる。切れ味の持ちがいい。手入れさえすれば長く使える。自分が、自分の畑で一番使いやすいように刃の曲がり具合(田畑の土質で鎌の形も変える)や柄の長さ(背の高さで使いやすさが違う)が調整してある。

 注文は市内だけではなかった。県内だけでもなかった。栃木県や長野県、福島県からも来た。遠くは島根県から電話で頼んでくる人がいた。

 「別に宣伝もしなかったんだが、どうやって私のことを知ったのかね?」

 小黒さんの仕事を野鍛冶という。農具を作る鍛冶屋さんのことだ。だから農鍛冶とも書く。どちらも「のかじ」と読む。

 農具は道具である。道具としての刃物に求められるのは切れ味と使い勝手、それに持ちの良さだ。客が満足する道具を作り続けないと、ほかの鍛冶屋にいつか客を取られてしまう。

「お客さんにいいといってもらえなくちゃ」

野鍛冶の鎌専門鍛冶屋で修行した小黒さんの身体には、野鍛冶の根性が染みついて離れない。

小黒金物店 第5回 小黒さんの仕事(上)

小黒さんの刃物は切れると書いた。切れ味が長持ちするとも書いた。
どんな作り方をすればそんな刃物ができるのか? 小黒さんの仕事を見た。

刃物作りは材料の切り出しから始まる。
普通の大きさの鉈を例に取る。最も一般的な鉈は130匁(約500g)だ。これを作るには、地金を550g、鋼を50g切り出す。いちいち量るわけではない。どちらも目分量だが、狂いはほとんどない。

これが鉈の材料である。仕上がりより100gほど重いが、鍛えているうちに酸化皮膜になってはがれ落ちる分と、研ぎで減る分がその程度ある。

最初の工程は鍛接だ。鉄と鋼を1000℃1100℃に熱する。

小黒さんの鍛冶場には軽量発砲コンクリートで囲われた火床(ほど)があり、電動の送風機で下から空気を送り込む仕掛けになっている。燃料にはずっとコークスを使っている。経済的で使いやすいのが理由だ。
燃えているコークスの間につかみで挟んだ鉄と鋼を突っ込む。足下のレバーを踏んで送風量を最大にするとコークスから大きな炎が上がって火力が強まり、数分で鉄も鋼も光り輝くミカン色になる。このあたりがちょうどいいタイミングだ。両方を同じ温度にしないとくっつかない。神経を使うところだ。

 「いまだ!」

と判断するのは勘である。これも、まず狂わない。

コークスから引き出した地金にパウダー状の鍛接剤を振りかける。鉄の粉にホウ酸を混ぜたもので、市販の鍛接剤では飽き足らなくなった小黒さんが、鉄工所で出る鉄粉とホウ酸を自分で配合した自家製だ。良く着く。

鉄粉を分けてもらう鉄工所は、純粋な鉄だけを削っているところに限る。普通の鉄工所は鉄以外の金属も削るので、金属粉に鉄以外のものが混じる。これを使うと鍛接がなかなかできない。

20年ほど前、刃物産地に指定されている新潟県長岡市与板町から数人の鍛冶職人が訪れた。みな50代と見えた。小黒さん自家製の鍛接材の評判を聞いてきたのだという。

 「鍛接剤の作り方を教えてもらえませんか」

本当の職人は鷹揚である。求められれば、作り方などいくらでも教える。教えたところで、自分の方がずっとうまくできるという自信がある。

 小黒さんは気軽に教えた。

 「日帰りで、何度かおいでになった。その後は来ないから、自家製の鍛接材が作れるようになったんだんべ」

小黒金物店 第6回 小黒さんの仕事(下)

 刃物は厚く作って薄く研げ。
これが刃物造りの原則である。

 熱され、叩かれた鉄の表面は、小黒さんによると

 「空気にさらされることもあって疲れてるんだんべ」

 この疲れている表面は、研いで落としてやらないとまっとうな刃物にはならない。だから厚く作って研ぐ。研ぎも重要な工程なのだ。

 小黒さんの鍛冶場では臼のような形の砥石がモーターでぐるぐる回転しており、その上に絶えず水が落ちて表面は濡れている。これに鉈らしい形になった金属を押し当て、正確に鉈の形にする。見る見る砥石と金属が削れ、削られた粉が水と混じり合ってペースト状のものがモリモリと出てくる。小黒さんは何度も包丁を砥石から離し、ペースト状のものをぬぐい取りながら形を確かめる。この間、約20分。

 見た目はやっと鉈になった。が、このままでは切れない鉈である。まだ最も重要な工程が残っている。焼き入れである。

 鋼は焼いて急速に冷やすと組織が変化して堅くなる。焼き入れをしていない鋼は鋸で切ることができるが、焼き入れをすると鉄の結晶の中に炭素が入り込むマルテンサイトという構造ができ、最も固くなるのである。

 そして、打刃物づくりで最後に切れ味を決めるのが、この焼き入れだ。まず加熱するのだが、絶対に温度を上げすぎてはならない。熱しすぎた鋼を適温になるまで冷やして急冷するとボロボロと刃こぼれする鉈になる。かといって、適温より低い温度までしか上げずに急冷しても刃物としては使い物にならない。一直線に適温まで温度を上げ、適温になったと判断したら直ちに急冷する。

 それに、焼き入れする鋼は、全体が同じ温度になっていなければならない。ここは750℃、こちらは800℃、この部分だけは770℃、というのでは、焼きが入った部分と入らなかった部分が混じり合った刃物になって使えない。

 では、適温とは何度なのか?

 770℃から780℃というところだね」

 小黒さんの火炉には1200度まで測れる温度計が取り付けてある。だが、小黒さんは、その温度計も信用しない。頼るのは加熱された鋼の色、だけである。

 「赤いような、オレンジのような微妙な色なんだ。夕焼け色、という人もいるなあ。見る物の色は周囲の明るさで変わってしまうんで、焼き入れをするのは夕方から夜にしてる」