180台の特殊ミシン シャオレの3

【機械職人】
桐生で刺繍を家業とする家に生まれた。5人兄妹の末っ子である。幼いうちにひとり亡くなったが、いずれにしても家業を継ぐ立場にはない。いずれは家を出て自立する。櫻井さんは東京の大学に進んだ。
選んだのは建築課である。建築家になって住宅やビルを設計する。そんな未来図を思い描いた。

学びが始まった。しかし、面白くない。

「毎日、図面、図面で図面ばっかり描かされた。嫌になってね」

それでは、と機械科に鞍替えした。

「機械なら面白いんじゃないかなと思ったのに、ここでも図面、図面の連続。同じことの繰り返しで、この道も俺にあわないな、と」

次の転戦先は経済部である。経営手法を身につけたいと思ったのだが、

「なんか数字や数式がいっぱい出てきて頭の中がこんがらがっちゃって、あ、俺には学問は向いていないんだ、と気が付いたのさ」

大学を2年で中退、とりあえず実家に戻って手伝いを始めた。それが櫻井さんの前半生である。子供の頃から機械いじりが好きで時計やラジオを分解しまくったという想い出もない。プラモデルなんてほとんど作ったことがない。
そんな櫻井さんが、ミシン屋さんの専門家も嫌がるミシンの調整を楽々とこなす。必要なパーツを、時には朝の2時、3時までかかかって作り出す。その間、周りの音は耳に入らない。
大学の機械科でも辛抱出来なかったのに、櫻井さんはいつの間に「機械職人」になったのだろう?

30歳少し前、念願の独立を果たして鋳物を始めた。川口市で鋳物会社を経営する叔父がいて景気がよかった。母の勧めもあってそこで仕事を覚え、桐生の自宅を出てみどり市笠懸町の今の場所に鋳物工場を作った。
ところが2年もたたないうちに石油危機に襲われた。仕事が激減し、仕方なく工場は閉めた。
さて、何をしよう?

刺繍の道を選んだのは、やっぱり育った環境のためだろう。子供の頃から工場の手伝いをさせられた。

「だから、ミシンの構造は何となく頭に染みついていたね」

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