桐生えびす講 その9 主役は町衆

桐生西宮神社に定住の神主さんがいた記録はない。神社とえびす講をずっと維持・管理・運営してきたのは「世話人」と呼ばれる町衆である。神主さんがいたら、神事の執行はもちろん、華やかなえびす講の開催にも神主さんが東奔西走して準備を整えるのかも知れないが、桐生西宮神社は神事となると町衆がほかの神社から神主さんを招いて執り行う。

それほどだから、えびす講となると、すべて「世話人」の仕事である。事前にチラシを作って新聞に折り込み、市内に垂れ幕や横断幕を張り出す。開催中の交通規制や警らにあたる警察との打ち合わせ,人波の整理に当たるガードマンの手当、毎年400店から500店を出店してくれる街商組合との詰め、頒布するお札やお守り、おみくじの準備……。えびす講が始まれば早朝から神社に詰めっきりになり、1日目の夜は体力のある若手(あくまで「相対的な」若手だが)が社殿に泊まり込んで参拝者との応対に当たる。

「夜中の1時、2時には夜のお仕事の方たちが仕事を終えておいでになりますし、4時になると早朝の散歩がてらのお年寄りがみえる。初めて泊まり込んだ年は、ああ、桐生って眠らない町なんだなあって感動しました」

とは、ある若手世話人の話である。

「世話人」は歴代20人内外である。かつては桐生の旦那衆が務め、自分の子どもに世襲した。えびす講の間は本業を横に置く。機屋や商家を取り仕切る経営者、その後継者ばかりだったから自由がきいた。

しかし、時代の波は容赦なくえびす講にも押し寄せた。繊維製品の主要生産国がアジア諸国に移り、織物で栄えた桐生に衰退の色が濃くなった。廃業する機屋が増え、客足が減った商店はシャッターを降ろす。かつては事業と桐生西宮神社世話人の後継者になるはずだった世代は家業に見切りをつけ、サラリーマンになって多くは桐生を出た。

「だから、世話人の後継者を捜すのも大変です」

と語るのは、世話人の代表である岡部信一郎総務だ。長く世話人を務めてきた家でサラリーマンになった人は定年を待って誘う。東京などに出て桐生に戻ってこない人もいるから、世話人の家系ではない人にも人脈をたどってお願いし、世話人に加える。

世話人問題以上に過酷な時代の波は、人口減である。1975年には13万5000人を超えていた桐生市の人口は1989年に13万人を割り込み、2004年には11万3000人まで減った。新里村、黒保根村との合併で一時的に13万1000人に増えたがその後も人口減は続き、2018年2月現在で11万1000人強である。日本創成世会議が「消滅可能性都市」の一つに桐生市をあげ、2040年には7万3000人弱の都市になると指摘したことは記憶に新しい。

「関東一社」の桐生西宮神社だが、主要な参拝客はほとんどが市内の人である。人口減はえびす講の人出にも響かざるを得ない。

「まだ目に見えて減ってはいませんが、このまま行けば必ず減りますよね。人の雑踏が薄らげば露店も減ってしまって、ますます人を呼び寄せるえびす講の魅力が削がれかねない」

岡部総務は懸念を隠さない。何か手を打たねば、明治の先人たちから延々と受け継いできたえびす講に赤信号が灯ってしまうのだ。

人口減は大きな時代の流れが生み出したもので、自分たちの力では何ともできないとはいえ、今のままでえびす講を100年先の子孫たちに受け継ぐことができるのか? 悪くすると、いまの世話人世代が桐生えびす講に幕を下ろさねばならなくなるのではないか?

事は深刻なのだ。いまこそ、町衆の総力を挙げて桐生えびす講を守らねばならない。

桐生には、どん底に落ちたときに働く「逆バネ」があると書いた。果たして、その逆バネは桐生えびす講にも姿を現してくれるのだろうか?

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