朝倉染布第4回 ガスマスク

だが、機械は所詮機械だ。機械とはかならず壊れるものである。

「だから、工場にはガスマスクを常に備えていたそうです。このように万全の態勢を整えないと、当時は撥水加工はできなかったのです」(同)

日本で初めての蒸れないおむつカバーは、ガスマスクが常備された工場から生まれたことをご存じだったお父さん、お母さんは何人いらっしゃっただろう?

生産は軌道に乗った。だが、危険性の度合いが減ったわけではない。このままでいいとは誰も考えていなかったのは当然である。蒸れないおむつカバーへの需要がたくさんあり、撥水加工をするにはそれしかないから、やむを得ずガスマスク常備の工場で加工を続けざるを得なかったのである。いずれは安全な薬剤、作業方法が開発されるだろう、とは皆が期待した。だが、まさか自分たちが開発することになろうとは誰も考えなかった。

「壊れた?!」

撥水加工が本格化して、それほど日はたっていなかった。足利の工場が騒ぎになった。大枚はたいて輸入した加工機が溶剤で腐食してしまったのだ。そのまま動かせば危険なガスが漏れ出しかねない。操業を止めた。需要は山のようにあるのに。

修理をすれば機械はまた使えるだろう。だが、溶剤が腐食を引き起こしたのだから、同じ故障が繰り返し起きることは目に見えている。そのたびに操業が止まり、撥水加工に遅れが出る。それでは需要に間に合わない。それよりも、故障に気がつくのが遅れるようなことがあれば事故に繋がりかねない。

救いの神はどこからも姿を現さなかった。朝倉染布の技術陣は、安全に作業できる撥水剤を自力で開発しなければならない立場に追い込まれたのである。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です