朝倉染布第13回 脱下請け

夜逃げ騒ぎの後処理を進めた久保村健吉営業課長(=当時。現特別顧問)は、処理が終わってホッとするより、大きなショックを受けていた。予想もしていなかった金額を支払ってもらえたからである。

夜逃げに追い込まれた会社は、生地を仕入れて加工を外注し、出来上がった生地をメーカーに納める中間業者だった。いってみれば、生地を右から左に動かして利益を得ていた。その仕組みは知っていたが、驚いたのは利益率の高さだった。朝倉染布の加工代金に近かったからだ。夜逃げ会社が得るはずだった利益も朝倉染布に入ってきて初めて気がついたのだった。

確かに、生地を仕入れて販売するのは、売れるはずのものが売れずに不良在庫が発生するというリスクが伴う。朝倉染布は賃加工するだけだからそんなリスクはないが、それにしても、生地を右から左に動かすだけでにしては利益率は法外に見えた。

「染色加工だけでなく、自前の販売に打って出たい」

久保村さんはそう考えた。

「我が社で生地を買い付け、加工して売りたい。利益率は倍増するはずだ」

そんな上申書を書いたのは2003年8月のことである。

言い出しっぺがまずやる。新しい事業に取り組む時の鉄則である。久保村さんは早速営業活動を始めた。

生地の仕入れは大阪の独立系編み立て工場と話がついた。

販売先は慎重に選んだ。朝倉染布に水着生地の加工を発注してくる会社と競合するのはルール違反だからだ。そんなところと競い合うことになれば仕事を失いかねない。

それでも、アパレルメーカーやスポーツ衣料メーカー数社との取引が始まった。1年目の売り上げは、全社売り上げの1%に達した。新規事業としては有望である。士気が高まった。

ところが、2年目は売り上げが急落した。

考えてみれば当たり前だった。生産から販売まで、水着のルートはすべてどこかの企業が抑えている。新しく参入した朝倉染布に加工済みの生地の注文が来るのは、いつものルートからの納入が滞った時だけなのだ。そんなことがしばしば起きるはずはない。1年目の盛況が例外だったのだ。

挑戦は、出だしから壁にぶつかった。

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