小黒金物店 第1回 手

小黒定一さんはこんな手をしている。鉄を鍛え続けて、もう70年を越えた。

たったいま洗ったばかりだ。それでも爪の間には鉄の粉や砥石の粉、なにやら分からない粉が残って黒い。粉は手のしわにも入り込み、居座っている。

1日の仕事を終えると、まずガソリンで汚れを落とす。次に石けんでガソリンを洗い流す。そして入浴。夏場ならそれで綺麗になる。だが、冬場はいけない。脂っ気がなくなって乾燥した肌にこびりついた汚れは、歯ブラシに石けんをつけてこすらないといなくなってはくれない。

左手はペンチのお化けのような「つかみ」という道具をあやつる。「つかみ」で灼熱した鉄を挟んで金敷に置き、右手に持つ槌で叩く。

振り下ろす槌は、遠心力で手から飛び出そうとする。止めようと指に力が入る。左手は、叩かれてはねる鉄を押さえつける。

「つかみ」も槌も、軽く握るのがこつだ。指先にはそれほど力を入れない。だが、同じ作業を続けたためだろう、右手の小指は曲がったままで自力では伸びない。伸ばすには左手で引っ張ってやらねばならない。両手の人差し指から小指までは、第1関節から先が親指の方に曲がっている。どうやら、「つかみ」も槌も、このあたりに引っかかって手の中に収まっているらしい。

そして、節がひときわ太くなった指。

「若けえころから、俺の指は太くて形が悪かったからね。それでだんべ」

だが、そこに鍛冶屋の年輪が加わっていることは疑いようがない。

1000℃近くまで熱されてミカン色に灼熱した鉄を叩けば火の粉が飛ぶ。火の粉は遠慮なく肌に落ちて焼く。手から腕にかけて火傷の跡は数え切れない。

「でも、慣れちゃうんだね。若い頃は火ぶくれもできていたが、いまじゃ風呂に入ってガサガサって洗うと、少しはピリピリするけど、翌日は何ともないんんだ」

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です