ミシンの魔術師—大澤紀代美さん 第3回 肖像刺繍

「紀代美、肖像刺繍の注文が来たんだけどな」

突然、父藤三郎さんがいった。どうやら勝手に肖像刺繍を持ち出し、

「紀代美にはこんなことも出来る」

と営業に使っていたらしい。

仕事にする気はないまま始めた刺繍だった。しかし、注文が入ればやはり嬉しい。注文主は桐生市内の会社経営者だった。自分の肖像を刺繍で縫い上げて欲しいという。会いに行き、会話を重ね、写真を借りだし、ミシンに向かった。

それからというもの、肖像刺繍の注文がひっきりなしに入り始めた。

外国に視察旅行に行く市内の経済団体の土産として、アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンを縫った。22、3歳の頃である。

注文主は市内の人だけではない。どこから話が伝わったのか、プロレスの力道山、プロ野球の王貞治、キックボクシングの沢村忠たちの肖像の注文も受けた。どれもファンからの依頼だった。


(王貞治さんの手に渡った肖像刺繍)

故ジョン・F・ケネディ大統領の肖像写真は、アメリカ大使館に寄付するのだと注文して来る人がいた。エルヴィス・プレスリーは、誰の依頼だったか?

「政治家も多かったんです」

池田勇人、福田赳夫、佐藤栄作、そして田中角栄……。

筆者は取材のついでに

「誰が一番いい顔をしていました?」

と聞いてみた。大澤さんは、写真や動画を見、本を熟読して描く人物の本質が見えたと思えるまではミシンを動かさない作家である。彼女に「顔」の評価を聞くのもまんざら的外れではあるまい。

「あ、それは角栄さんね」

すぐに答えが戻ってきた。

「生き様、というか、人が持っているエネルギーというか、人心を捉える力というか、そんなものがストレートに出ている顔ですよ、角栄さんは」

最近は、肖像刺繍の注文はあまり来ない。声をかけられても出来るだけお断りする。関心の向かう先が変わってきたのである。

それでも、人物の本質をミシンの針と刺繍糸で描き尽くそうとして身につけた技法は、大澤さんのすべての作品に生きているのである。

 

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