デザイナーの作り方 片倉洋一さん 第21回 プレイング・マネージャー

「プレイング・マネージャーってどうなんですかね」

取材中のある日、片倉さんがボソッと言った。そうか、片倉さんはいま、そんな立場にあるのか。
笠盛に入ってモーダモンに出品する作品を模索し、磨き上げ、やがて刺繍糸だけで真珠と見まがうアクセサリーを生み出すまで、片倉さんはデザイナー、クリエーター、プランナーとして疾走してきた。世界のどこにもないものを創り出してやる、という情熱が最上位にあり、勤め先への貢献は

「多くの人が認めてくれるものをつくれば、結果的に会社の利益になる」

という、2番目に大事なことでしかなかった。

だが、ふと立ち止まってみる。片倉さんはいまや、トリプル・オゥ事業部マネージャーである。管理職としてトリプル・オゥ事業部を率い、「000」の成長、会社の成長に責任を追う立場にある。もう、1人の情熱だけで走り続けることが許されない立場なのだ。

問われて、筆者がどう答えたかは記憶にない。筆者の記憶に残るプレイング・マネージャーは、野村克也氏程度だ。ほかにも選手権監督を務めた人はいただろうが、野村氏しか思い出さないということは、両立はなかなか難しいからではないか。

片倉さんはいま、1つの取り組みを始めている。社内向けに「000ストーリー」と「私の人生を変えた人」という文章を書き、配信し始めたのだ。

海外にまで足を伸ばし、デザインやファッションを学んできた人材は、笠盛では片倉さんと、OEM事業部長の高橋裕二さんだけである。では、この2人だけしか、新しいものを生み出すことはできないのか?
そうではない、と片倉さんは考える。ロンドンのチェルシー・カレッジでケイ・ポリトヴィッツ学部長に言われた言葉が頭に染みついているからだ。
デッサンができない、ファッションの勉強が遅れている。そんな劣等感に捕らわれかけていた時、彼女は

「工学とデザインがうまくつながったら、洋一らしさになるね」

といってくれた。それは、無い物ねだりをするより、自分にあるものを伸ばした方がいい、ということである。
いま、笠盛で働いているすべての人が、私にはない「自分にあるもの」を持っているはずだ。管理職とは、それを引き出し、伸ばす仕事なのではないか? ひょっとして、自分が歩いてきた道をみんなに知ってもらうことが、その役に立つのではないか?
そう考えたのである。

「000ストーリー」は、この原稿を書く上で参考にさせていただいた。ここでは、

「これまでの人生の中でいろんな出会いがあり、たくさん教わることがありました。私の人生を変えた『ひと』とのストーリーを連載していきたいと思います」

という書き出しで始まる「私の人生を変えた人」をご紹介しよう。

父から、母から、祖父から、と連載は続いた。アメリカで世話になり、海外への目を開かせてくれた友人も、ロンドンで抱きかけた劣等感を跳ね飛ばしてくれたケイも登場する。

「Afet Halilから教わった事」には、こんなことが書いてある。

「AfetはChelseaで一緒に学んだ仲間でありよきライバル。私より3歳年下でありながら、お姉さん的な存在。家族と離れて暮らす私を招いてくれたHalil家のクリスマスパーティーはとてもいい思い出となってます。
Afetのクリエーションはとにかく唯一無二。ダイナミックで、人々の想像を常に超えているような表現でした。ここまでやっちゃう? ‼的な。
本人の内面には迷いなどの葛藤はいろいろあるそうだけど、はたから見ていると吹っ切れて独自の世界観ができている。
この自分らしい表現を持っているだけでも素晴らしいのだけれども、彼女のさらにすごいところがとにかく当たって砕けろ的なアプローチ&コミュニケーション能力です。
ファッション&テキスタイルを専攻している学生にとっては、パリの一流メゾンで仕事があこがれ! 1つの大きな目標です。(彼女は)2泊程度のパリ旅行の空き時間に、クリスチャン・ラクロワに電話してアポをとり、作品のプレゼンをして仕事をゲット。普通では考えもしなかったアプローチ方法でしたね。
それまでは、印刷したポートフォリオを郵送してました。全くダメでしたね。待っても何もできないもどかしさがあったので、Afet方式を取り入れて、卒業してなんのあてもなくパリに移住しました。
とにかく毎日毎日、電話をかけまくる作戦。ウンガロ、クロエ、ラクロワ、ジャン・ルイ・シェレル、ドミニク・シロのプレゼンの機会をもらい、仕事をゲットすることができました。
たぶん、レターだけ送り続けてもダメだったと思いますね。やや無謀ではあるけど、会いたい人に会いに行く! 行動をする大事さを教えてもらいました。
この行動力も含めて認めてもらっているのかなと思う今日この頃です。
Afethaその後も持ち前の行動力で、ディオール&ジバンシーでもテキスタイル開発で活躍していました」

この連載は、「Jan Liebeから教わったこと」 (Jan Liebeはドイツ出身の建築家)、「Martin Leutholdから教わったこと」(ヤコブの社長兼デザイン・ディレクター)、「Dominiqu Siropから教わったこと」(Dominiqu Siropはパリでの就職先)……、と続く。

片倉さんは、自分のような機会を持てなかった仲間たちに、「片倉」を追体験してもらいたいのに違いない。みんなは、自分だけの何かを、とてつもない可能性を持っている。その可能性の花を咲かせるのに、ひょっとしたら私の体験が役立つのではないか……。

プレイング・マネージャー片倉の挑戦から目が離せない気になってきた。

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