その20  初注文

敏夫専務が弱気の虫を抱えたまま2011年の夏を迎えた。事務所のパソコンを立ち上げると、珍しくクリスティーナさんから英文のEメールが入っていた。読み始めた敏夫専務の心臓の鼓動が早まった。

「今年の11月から印象派の絵画を集めた企画展を開催します。ついては、写真で添付している絵画のイメージをマフラーにしてもらえませんか。マフラーができたら、とりあえず見本の現物を送って下さい」

喉から手が出るほど欲しかったプラド美術館からの誘いだった。狭き門が開きかけたのである。

敏夫専務は逸る心を抑えて添付されている写真を開いた。どちらも風景画である。1枚はフランス印象派の巨匠モネ作「モンジュロンの池」、もう一枚はドイツ・ロマン派のフリードリッヒが描いた「山の朝」だった。2枚ともロシア・サンクトペテルブルクにあるエルミタージュ美術館から借り出して展示する予定の絵だと書いてあった。

デザインは智司社長が引き受けた。営業トークとはいえ、

「絵画をイメージしたマフラーをデザインできる」

と敏夫専務が宣言したのである。やらねばならない。しかも、失敗は許されない。プラド美術館の失望を買うようなマフラーを送ったら、開きかけた狭き門は再び閉じてしまう。そして、松井ニット技研の前で二度と開くことはないだろう。

送られて来た2枚の絵画の基軸になっている色は、濃淡は違うが緑である。この緑をどう生かして使うかがポイントだ。2週間ほどかけて最初のデザインを仕上げた。何度も

「これでいいだろうか?」

と2人でにらめっこした後、工場で織り上げ、祈るような気持ちでプラド美術館に送り出した。

間もなく、Eメールで反応が戻ってきた。

「素晴らしい!」

最初の一つのフレーズで、2人は胸をなで下ろした。しかし、文面はさらに続いていた。

「だが、ここをグラデーションにした方がいいと思う」

作り直してプラド美術館に発送する。そのたびに注文がついた。

「もう少し薄い色が使えないか」

「縦縞の幅をもう少し狭く」

プラド美術館とのやりとりは4、5回に及んだ。プラド美術館も松井ニット技研も満足できる2本のマフラーが完成したのは企画展開催が目前に迫った10月中旬のことである。

「それぞれ500本という注文だったのですが、それからではとても生産が間に合わず、とりあえず150本ずつにしてもらいました」

と智司社長は語った。

絵画のイメージを写し取った、恐らく世界で初めてのマフラー300本が段ボール箱に詰められ、桐生からマドリードへの旅に出た。

写真:フリードリッヒ「山の音」をイメージしたマフラー。

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