日本1のフローリスト—近藤創さん その10 熟成

「あ、私は基本に囚われすぎていたのではないか?」

と気が付いた時、近藤さんは28歳になっていた。私は学びすぎたのではないか? と思いついたのだ。
それを近藤さんは

「学ぶことの落とし穴に落ちていたようなんです」

と表現した。

人は多かれ少なかれ、学んだ知識に縛られるものである。ある知識を得る。知識は社会に立ち向かう際の武器だから、得た知識で自分の周りに塀を作って自分を守る。知識の量が増えれば増えるほど、塀の厚さが増して頑丈になる。天空を移動する太陽、月、星々を見上げた人類は長い間、動いているのは太陽や月で地球は動かないものだという知識に縛られた。その迷妄から私たちを解き放ったのはコペルニクスである。いま踏みしめている大地はどこまでも平らであり、大地に続く海も平らで、その果てからは海水が滝になって流れ落ちていると信じて疑わなかった人々に対し、地球が丸いことを証明して見せたのはコロンブスだった。知識は人を縛るのである。

近藤さんは中学1年生の頃から父。宗司さんに草心古流の華道をたたき込まれた。大学3年からはフローリスト養成学校でフラワーデザインを学んだ。華道であれフラワーデザインであれ、教えることができるのは基本だけである。刻々と変化する時代と場所、社会、状況に応じた活け花、フラワーデザインを全て教えることは不可能だ。あとは基本を身につけた個人が、基本の上に立って自分で工夫するしかない。

華道もフラワーデザインも、近藤さんは類い希なほどの優等生だった。基本は十分すぎるほど身につけた。それはそれでいいのだが、具合が悪いのは、基本とは数多くの先人が努力を重ねて生み出した理論、知恵、工夫、成果をギュッと圧縮した集大成であることだ。筋が通り、異を唱えることは難しい。天動説や地球平面説が長い間人々を縛り付けてきたのもそのためである。
いつの間にか近藤さんは、「基本」という分厚い壁を作ってしまい、その中に閉じこもっていたらしい。壁の中にいれば安楽だが、時代と響き合う躍動感がある作品は、その壁を破り、乗り越えなければ生まれないのではないか。

近藤さんはいう。

   近藤さんの作品 10

「あのころの私は、自分の作品が綺麗に見えて仕方なかった。JFTDの全国大会で2位になって、外面はともかく、内面では天狗になっていたんですね。ところが、その後の作品は基本に忠実なだけ、綺麗だけど教科書通りというものばかりですから、コンテストの審査員の目には綺麗には見えなかったんでしょう。きっと、基本という目から見れば美しく見えても、自由な発想が生み出した躍動感にあふれている他の人の作品に比べれば、つまらないものに見えたんでしょうね」

であれば、壁を破らねばならない。近藤さんは華道とフラワーデザインの融合に挑戦した。長い歴史を持つ華道は、花を美しく見せる原理・原則のかたまりのようなものだ。対するフラワーデザインの歴史は新しく、どちらかといえば個人の自由な感性を尊ぶ。

「基本が出来ていて、その上に自由な発想が花開けば、鬼に金棒じゃないですか?」

近藤さんは大きな一歩を踏み出した。

「ええ、あのころが私の転換期だったのだと思います」

29歳。しばらく蛹(さなぎ)になっていた近藤さんは、美しい蝶に変身して羽ばたいた。飛んでいった先に、日花協主催のフラワーデザイン選手権大会・総理大臣賞という栄光が待っていたのは、先に書いた通りである。

写真:花を整える近藤さん

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