日本1のフローリスト—近藤創さん その4 「3代目」
いま振り返れば、わずか29歳で日本一になる近藤さんが大器の片鱗を見せたのは、中学校1年生の元旦だった。 ここで少し回り道をする。桐生の生花店の話である。 当時、桐生の生花店は華道教室を兼営するところが多かった。当時の桐生...
いま振り返れば、わずか29歳で日本一になる近藤さんが大器の片鱗を見せたのは、中学校1年生の元旦だった。 ここで少し回り道をする。桐生の生花店の話である。 当時、桐生の生花店は華道教室を兼営するところが多かった。当時の桐生...
夜行列車で秋田市に向かったのは、大会の前日だった。夕刻、JR桐生駅から両毛線で小山に出て東北線の夜行寝台列車に乗り換えた。花材は段ボールの箱に収め、器となる透明なアクリル製のボックスと一緒に持参した。 旅の道連れがいた。...
近藤さんは生花店「花清」の経営者である。昼間は仕事で忙しい。大会の準備に費やせるのは1日の仕事を終え、夕食を済ませたあとの時間だけである。加えて、月曜と金曜は早朝、東京まで花の仕入れに行かねばならない。朝が早いので前日は...
JR桐生駅南にある生花店「花清」。店舗奥にある事務室のスチールラックに沢山の盾やトロフィーが雑然と置いてある。「花清」3代目の近藤創(はじめ)さんが、いくつものフラワーデザインコンテストで獲得したものだ。その奥の方、多く...
「プレイング・マネージャーってどうなんですかね」 取材中のある日、片倉さんがボソッと言った。そうか、片倉さんはいま、そんな立場にあるのか。 笠盛に入ってモーダモンに出品する作品を模索し、磨き上げ、やがて刺繍糸だけで真珠と...