桐生えびす講 その8 関東一社(下)
繰り返しになるが、桐生西宮神社は明治34年、西宮神社に分霊を認めてもらってできた。西宮神社を名乗るところでこうした記録が残っているのは関東では桐生だけだ。 隣の足利西宮神社は慶長8年(1603年)、時の代官が寄付を募って...
繰り返しになるが、桐生西宮神社は明治34年、西宮神社に分霊を認めてもらってできた。西宮神社を名乗るところでこうした記録が残っているのは関東では桐生だけだ。 隣の足利西宮神社は慶長8年(1603年)、時の代官が寄付を募って...
桐生西宮神社に定住の神主さんがいた記録はない。神社とえびす講をずっと維持・管理・運営してきたのは「世話人」と呼ばれる町衆である。神主さんがいたら、神事の執行はもちろん、華やかなえびす講の開催にも神主さんが東奔西走して準備...
20世紀最後の年である2000年、桐生えびす講は100回目を迎えた。父の後を継いで世話人に就任した岡部さんはまだ総務ではなかったが、その頃から危機感を持っていた。 桐生えびす講を100年先の子孫たちに引き継ぐのが自分たち...
桐生に「白瀧姫」伝説がある。 山田郡仁田山郷(いまの桐生市川内町)から朝廷に仕えた若者、久助がいた。掃除係として仕えているうちに宮中の白瀧姫に思いを寄せるようになり、燃える思いを託した和歌を詠んだ。久助の熱いまなざしは白...
いまの織物はほとんどが自動化された織機で織り上げられている。コンピューターで制御された自動織機はデータさえ入れてやれば、あとはほとんど人手がかからない。よほど特殊な目的でもない限り、人が織機の前に座って1本1本緯糸(よこ...