花を産む さかもと園芸の話 その1 黒保根

余談だが、新井領一郞の娘ミヨは、明治の元勲松方正義の九男正熊と結婚する。この2人の次女春子(ハル)は、ケネディ大統領が指名した知日派の駐日大使、エドウィン・ライシャワーの夫人となった。彼女は戦争末期、黒保根に4ヶ月疎開している。また3女種子は1949年、東京・元麻布に「西町インターナショナルスクール」を開いた。黒保根小学校、中学校とホームステイ、運動会、餅つき大会などの交流を今でも続けているのは、曾祖父領一郞が結びつけた縁ともいえる。

過疎化が進み、山間に埋もれたようにも見える黒保根は、近代化を目指した明治の日本で、世界に向けた窓をいち早く押し開いた人々を輩出したのである。

2人が活躍した時代からずっと後の昭和48年(1973年)10月、黒保根に一組の新婚夫婦が越してきた。坂本正次さんと久美子さんである。2人は黒保根の歴史を知ってこの場を選んだのではない。自分の花を創って育てたいという熱に駆られ、適地を探し求めてたどり着いた。2人は「さかもと園芸」を起こした。

2人が生み出し、育てた花は後に、10年に1度開かれる花のオリンピック、オランダのフロリアードで1992年、2002年と2大会連続で最高賞を取る。日本の園芸技術を世界に認めさせた2人は、世界に向けてもう一つの窓を押し開いたともいえる。

いま「さかもと園芸」は娘の佳子さん、その夫でラオスから来たピムマ・ティアムチャイさん(通称チャイさん)が引き継ぎ、2022年のフロリアードに向けた準備に入っている。これも、もう一つの国際化か。

日本生糸の国際的評価を飛躍的に高めた星野長太郎、新井領一郞兄弟。日本で育てたアジサイとシクラメンを世界のトップに育て上げた坂本夫妻。

小さな山間の山村から世界への道を切り拓く。黒保根には何か不思議な力でもあるのだろうか?

これから皆様を「さかもと園芸」にご案内する。
なお、正次さんは現在闘病中で直接お話しを聞くことが出来なかった。一刻も早く快復されることを祈りつつ、正次さんの話はこれまでメディアに取り上げられたものと久美子さんにうかがったお話から構成することをお断りしておく。

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