ミシンの魔術師—大澤紀代美さん 第17回  死のう

毎晩、病院のベッドで正座し、まだ見える右目で壁を見つめて考えていた。ほとんど眠ることが出来なかった。

「するとね、毎晩看護婦さんが何度も巡回に来るのよ。どうやら、私が自殺しそうだから見張っていなければ、ということだったらしいのね。見抜かれてたみたい」

水死はいやだ。かといって毒薬やピストルは手に入りそうにない。あれこれ考えた末、首を吊ることに決めた。
思いが決まると、不思議なことに自殺に関した話がいくつも耳に入り出す。

「聞いていると、自殺って意外に難しくなさそうなのね。あ、簡単にできるんだ、と思ったら、次の瞬間、だったら自殺するのは両目とも完全にダメだって決まるまで延ばそう、と決めたのよ。私って楽天的なんですかね」

入院、自宅での静養、入院、自宅での静養、入院……。そんな暮らしが1年ほど続いた。自宅の近くで焼身自殺した人を見たのはこの間のことである。大澤さんの周りに死神がウジャウジャいるようだった。

ある日、医師が言った。

「残念ながら左目は何ともなりません。だから、せめて右目だけは助けたい。ただ、いまの医学では右目も救えない恐れがあります。それも頭に置いておいて下さい」

右目だけは何とか助けよう。医師の指示は詳細を究めた。

・通り過ぎるものを見てはいけない。

・本を読んではいけない。

・テレビも出来るだけ控えるように。

・仕事? とんでもない!

・ゆったりした暮らしをして下さい……。

定期検診に通う。具合が良ければそのまま帰宅して安静にするが、悪い兆候が見えればすぐにまた入院である。

「ひどい暮らしよ。一つだけラッキーだったのは治療費が1銭もかからなかったことかな。珍しい病気だから『学用患者』にする、ということになって。私の目で見えている風景を絵に描いて上げたり、症状を細かく書き出したりして協力しました。私の病気で論文が何本出来たのかしら? でも、病気にならなければもともと治療費はかからないわけだし、そんなことをラッキーと考えるしかなかったのね、当時の私は」

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