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第8回 人と関わる

『顔に書いてある』という言葉がある。
いつも瞳が真から輝き幸福感に充ち満ちているA。「何で自分ばかり・・・」と不平不満顔のB。
心の状態は顔に投影される。
Aにいつも特別良い事ばかりが訪れているわけでもなく、Bは年がら年中、不幸や災難続きのわけでもない。
二人を取り巻く環境、境遇、そして状態は殆ど同じ。なのに何故か?

Bの気持ちも解らなくはない。何を隠そう、以前の私はBであった。
ある師から「人の為に尽くす」という書を頂いた事がある。批判的で他人に厳しかった当時の私には、それがただの綺 麗事にしか映らず、全く心に響かなかった。「自分はこんなに頑張っている。なのに皆は努力を怠っている」自分への 賞賛でさえも、他人との比較。人に尽くす余裕など無い。
「あの人が・・・、あいつは・・・」常に、“自分はさておき”。いつしか自己との対峙を放棄していた。
嫌な自分は見たくないし、出来ないのも認めたくない。

不平は“自分以外”のまわりへの不満から起点する。不満を書き出してみると、その殆どが他者や世の中への事と解る。 もし今、全ての不満が解消されれば、自分は幸福と感謝に充ち溢れるようになり、もう二度と不満なんて湧き出て来なく なるのだろうか?

それは、『自分の心の捉え方』で決する。本気で励まされたり、叱られたり、頼りにされていると解った時、「有難い」素直な 気持ちでそう思う。そして、不思議と少しだけ満ち足りた気分になる。
そして、涙が込み上げてくるような愛情に包まれたり、人の為に捧げ尽くしている人に出逢った時、「もっともっと頑張ろう」

自己の向上を誓わせられる。「人は一人では生きられない」という事。

厄介な事に、AとB各々が発する“気”は、共鳴し合い、自然に集いだす。
互いを許し認め合い、夢や希望を語り始めるA同士。個々の不満を持ち寄り、慰め合ってより後ろ向きになってゆくB同士。
正に幸福と不幸の分水嶺。これを日々幾度となく繰り返していったとしたら。最初は僅かな差でも、一歩間違えばその人の 進む道さえ左右しかねない程の、取り返しのつかない大差に。

“人に関わり合う”と云う事は、とてつもなく深く、本気でぶつからなければ、はじき飛ばされてしまう。
けれど、本気で関わり合えるという事は、すごく素敵で、幸せな事だと思う。

ぐんま経済新聞 「東毛エッセイ」 平成17年11月10日より転載